真夜中の虹
スコールに似た雨がさんざんアスファルトを叩いた後、靴に雨の名残を染み込ませながら路地を歩いた。
春が近づくと朝も早くなる。東の空のトーンが僅かに変わり、空の主役が代わる事を告げている。
雨水を湛えた地面に瞬きを止められないネオンが乱反射して、目の奥に残像を残す。
私に夜は似合わない。食べ物、アルコール、そしてそれらを貪欲に取り込んだ人の匂いが、化学反応して空気を侵す。洋三はまるで大きな動物の内臓の中に居るようだと感じていた。
夜の匂いに辟易する一方で、奥の見えない路地の小さな灯り、時折聴こえる男なのか女のか解らない嬌声に、想像力を刺激されている自分も居る自分にも気づく。
脳が痺れるような時間は、どれほど同じに見えても毎回違う。
そのエリアでも奇跡的に廃墟な現役の雑居ビル、その二階へ続くスロープの手すりに一羽のカラスが居た。何千人、下手すると何万人もの人が握りしめてきた手すりに、醒めた目をしたカラスが佇み、こちらを凝視している。俺から死の匂いがするのかなと独り嗤い、カラスが逃げる前提でスロープを上ってみた。
驚くべきことにカラスは逃げない。アスファルトよりも深い漆黒のカラスは、触れるほどに近づいても逃げようともせず、興味があるともとれる視線を洋三にくれていた。
しかしそれ以上に驚いたのは、カラスの背中から極彩色の羽が生えている事だった。
前から見る分には物おじしないカラス。しかしその背中には溢れんばかりの色彩を持つ、孔雀の羽根が生えている。
冗談のような出来事は日常に潜む。それにしてもこれは性質が悪いんじゃないか。これは最早、カラスとは言えない。廃墟寸前の雑居ビル、申し訳程度のダウンライトがやっと照らすのは、人を恐れない孔雀烏。
辺りの音は不思議と止み、自分の鼓動がやけに耳につく。
その時、カラスが口を開けた。声を出さずに開けている。これは嗤っているのだと気づいた時、カラスは孔雀の羽根を広げてゆったりと飛び上がった。
瞬きを繰り返すネオンに照らされた羽が空に弧を描くとき、真夜中に虹を観たような気がした。
洋三は夜が少し好きになった。
〈掲載…2013年 会社概要〉