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【432球目】三陽工業・安定期④

1992年から2007年。ここを三陽工業では安定期として捉えています。川崎重工を中心とした運営を行っていました。今日はこの安定期のお話を進めていきます。


1992年から2007年

創世期において、梱包工場と研磨工場が設立されました。

その工場は少しずつシンカをしていきます。梱包工場においては、個装・梱包のみならず物流関係の仕事もやるようになります。研磨工場においては、徐々に部品点数も増えて来ました。2つの工場が少しずつシンカをしていきました。この間の川崎重工明石工場は振り返ってみると、とても安定していました。私が入社したのが2004年ですから、この安定期の最後3年を経験したことになります。それまでは、特に新しい動きをしていません。三陽工業のホームページの沿革を見ても大きな動きはなく、逆に無駄の少ない効率的な経営をしていたことになります。ありがたいことです。

そして、この安定期の最後、2007年には高砂の三菱重工との取引が開始されます。


2007年5月25日

何回かこのnoteでも書きました。

2007年5月25日に三菱重工との取引がスタートしました。よく覚えています。雨が降っていました。そもそも、この取引は同業他社からの紹介という形で新規営業へと繋がりました。久しぶりの新規営業でした。というのも、私が三陽工業に入社した際には、川崎重工の依存度を下げたいと考えていましたが、バイクの生産が大きく増えていく中で日々の業務に忙殺される日が続き、いつの間にかそれに満足してしまっている自分がいました。そんな中での久しぶりの新規営業。派遣の新規営業です。

商談の冒頭に三陽さんは何ができるの??と聞かれ、Σ(・□・;)こんな感じになりました。頭の中フル回転です。派遣が出来ます!!はおかしいし、かといって派遣の営業に来ているし。スッと口から出た言葉は研磨が出来ます!!だったんです。すると、そうか、それなら丁度良い職場があるから見に行こう。研磨職場を見にいくと、当時の三陽工業にあるベルト研磨機よりもベルト幅が小さかったり、大きかったり、そもそもベルトの長さが長かったりと違いはありましたが、回転物に対してワークを当てていくという作業に変わりはありませんでしたので、当社の研磨と似ていますね。当社の職人ならばすぐにやれます!!みたいな回答をした記憶があります。

そんなこんなで5月25日を迎えます。

当時の自社職場にいた3名を指名して、5月25日から高砂に行ってもらうお願い?指示?業務命令?をして、スタートの日を迎えました。ワクワクドキドキ。不安が少しと希望でいっぱいだったことをよく覚えています。3人ともバイク部品の研磨のプロです。高砂でやるブレード研磨に関しては素人でした。最初は違和感だらけだったと思います。でも、その中で3人とも頑張ってくれました。毎日、メールで出勤確認をもらっていました。毎日、会いに行っていました。生産推進グループの原型だと考えています。そして、ここから1年10ヶ月後に派遣契約は終了し、2009年4月1日からは高砂事業所としての物語が始まっていきます。


高砂事業所の物語

高砂事業所を語る上で避けて通れないのが坂本さんです。(これは実名でもいいですよね?)

元々優秀な研磨職人だった彼は、2007年5月25日のスタートメンバー3人のうちの1人です。本当に、研磨に関しては優秀でした。研磨に関しては成長欲求も高いし、技術力もある。そして、バイク部品で培ったスピードも兼ね備えた優秀な研磨職人でした。研磨に関してだけは。そう研磨に関してだけは。もう1回言います!!声を大にして言います(゚Д゚)ノ研磨に関してだけは。坂本さんには感謝しています。技術の軸と心の軸を考えさせられたのはこの時の経験がとても大きいのです。研磨に関しては物凄いこだわりと成長欲求を持っていました。研磨に関してだけは(しつこい??)

でも、私が事情があって研磨職場の隣の建屋で現場に入って作業をしていても、スーッと彼は帰っていってたんです。技術の軸は10点満点で10点だったと思います。心の軸は10点満点で0点だったと思います。そんな人と一緒に仕事をしていくことの大変さや辛さはきっと、今の坂本さんなら十二分に理解してくれると確信していますし、当時の自分に仮に出会うことが出来れば、きっと今の坂本さんにブッ飛ばされていることでしょう。(これは坂本さん自身が言ってました)

今の坂本さんは頼りになる部門責任者ですよ。ほんとうに。正直に。きっと、彼が三陽工業ではない道を選んでいたとするならば、間違いなく今よりも人生が豊かでなかったと断言できます。そして、この話は彼とお酒を飲むと必ず、そこに誰がいても必ず出てくる話なのでご存じの方も多いです。初めて見る人は、えっ!と思うかもしれませんが、周知の事実なので問題ないと思って書いています。坂本さんからの苦情はいつでも受け付けますので、いつでもお待ちしております。

もう1つ、高砂事業所が出来た時から考えていたことがあります。ちょっと長くなってしまったので、明日も続きを書いていきます。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。




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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!