【144球目】変化・シンカ
10月がスタートしました。
3月決算の会社では下期のスタートです。三陽工業は2月決算ですので、一足先に9月から下期がスタートしています。
今日は10月1日に起きた変化のうち三陽工業と関係のある3つのことについて書いていきたいと思います。
カワサキモータース発足
川崎重工からオートバイ部門が分離してカワサキモータースという会社がスタートしました。
2021年9月までは川崎重工が製造し、日本国内ではカワサキモータースジャパンという販売会社が販売、世界においてもカワサキモータース〇〇という販売会社が販売するという形態から、カワサキモータースが製造し、各販売会社が販売するという形になります。
ということは、川崎重工製のオートバイは10月1日からは製造されず、カワサキモータース製のオートバイが製造されるということになります。
工場は、今までと同じ様に川崎重工明石工場内に存在します。
ちょっとした違和感を感じますが、これもまた時代の流れですね。
そもそも、事業部門として大きな売上があるにも関わらず、赤字部門だったモーターサイクル部門が分社化されてしまうことは合理性があったのかもしれません。
しかしながら、このコロナ禍においてのオートバイ業界の活況は予想しにくいことでもありました。
川崎重工から分社したKPMが再び川崎重工に吸収されたように、数年後再びカワサキモータースも川崎重工に吸収されるのではないかと自分勝手に考えています。
川崎車両発足
カワサキモータースと同じ様に、川崎重工車両カンパニーが分離・独立して川崎車両という会社になりました。
まだ車両カンパニーとのお付き合いは浅いのですが、それでも数十名の生産推進グループ社員が頑張ってくれています。
私たちの生活を支える電車や新幹線を作るという大切な仕事です。
これからのシンカに期待しています。
三菱パワーが三菱重工に吸収
上記と逆のパターンです。
私たちもお付き合いをさせて頂いている、三菱重工の原動機事業部門が2014年に日立と合弁で三菱日立パワーシステムズという会社を設立しました。MHPSと呼ばれていたその会社はその後、日立が撤退し三菱パワーという会社になり、この10月1日に再度三菱重工へと吸収されます。
MHPS発足時には私はまだ三菱重工の担当をしていましたので、とてもよく覚えています。
青の作業服がアイボリーの作業服に変わった違和感は凄かったですね。
日立の社員さんの立場からすると、日立製作所に入社して原動機事業部門に配属になり、その部門が三菱と統合しMHPSに、そして日立が抜け三菱パワーに、今度は三菱重工に吸収され気付けば三菱重工の社員になっています。
日立製作所に入社したのに、転職活動もせずにいつの間にか三菱重工の社員になっている。
この原動機事業部門は変化が凄まじいです。
世界では、GEやシーメンスと競争しながら、この両社はエネルギー分野を縮小傾向にあります。
そして、三菱パワーは大型ガスタービンで世界一の座を射止めました。
2014年からの7年間で凄まじい変化です。
私たちの高砂事業所は三菱重工高砂製作所内にあり、小さいながらも製造部の中心となっている事業所です。
そして、この事業所から多くの拠点長が巣立っています。
私も自分自身が1人で携わった最初の事業所として、深い深い想いがあります。
そんな高砂事業所は外部環境の変化に適切に対応しながら、今後もシンカをしていきます。
想い
私が三陽工業に入社した時から、川崎重工オートバイ部門とは取引がありました。その時点で数十年の歴史がありました。
そして、その数年後、数名の仲間と三菱重工高砂製作所の門を叩きそれが今の高砂事業所となっています。そして、GT製造部の担当役員は三菱重工のご出身です。
川崎重工は実家で、三菱重工は自分が建てた家。
誰かに説明する時にはこんな言い方をしたりします。
もちろん、実家も自分が建てた家ももっと大きくしたいと思っています。
コロナ禍に象徴されるように、外部環境の変化はどんな事が起きても驚きません。それに対応していくだけです。
この2社の動きに象徴されるように、外部環境は凄まじいスピードで変化をしています。
私たちも変化して当然です。
いや、シンカして当然です。
これからもシンカしていきます。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。