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【838球目】能動的思考と行動

昨日のnoteで高校野球についての気付きを書きました。

早稲田実業の内野手1名追加による失点の防止。
大社高校の選手が手を挙げての代打による完璧なバント。

この2つを監督の視点からマネジメントとして捉えると真逆の発想です。1つは監督がリスクを取り確率の高い方を選択し決定、そして選手がそれに応える。もう片方は、選手の自主性を尊重し、自信があると手を挙げたものに任せる。今日はもう少しこのことについて書いていきます。

どちらが正しいのか

監督が全責任を追いリスクの高い決断をすること。
選手の自主性を尊重し、想いを持った者に任せること。

結論から言うと、どちらも正しいと考えています。私は試合しか見ていませんし、それまでのチーム作りや個々の選手の力量、以前からの積み重ねが甲子園での1試合として表現されただけでそこに繋がっている過程を私は見ていません。どちらも正解です。そして、そのチームに合った色というものがあると考えています。

もし・・・

指示を出すこと。
これには責任が伴います。多くの経験を経て客観的に試合を観察し、その状況に応じて決断を下す。指揮官に求められるものです。選手の自主性を信じ、やりたいという人にそれを任す。これも非常に勇気がいることです。

もし、そこまで考える力が無い人に自ら考えろと言うと、その人は潰れてしまう可能性もあります。逆に、自主的に能動的に考えることが出来る人に細かな指示を出してしまうと、これもまた、潰れてしまう可能性があります。

選手の力量を勘案しながらのチーム作り。それが最も重要なことだと考えています。そして、現在の野球、いや野球だけではなく世の中全般的に自主性を重んじる世の中になってきていることは確かです。

自主性の裏側

私も自主性を重んじる環境で好きにやらせていただいていました。
もし、どこかで先代と口論になっていたら、ここにはいない可能性もあります。ただ、自分に任せてもらっている以上は常に成果を出さなければならないという危機感と責任感は感じていました。2008年のリーマンショック以降はその危機感、責任感と常に隣合わせでした。

もし、新卒からの3年間の経験がなければその危機感、責任感に潰されていた可能性もあるかもしれないと考えるほどです。あの3年間の経験値は私にとってとても貴重なものとなっています。

強制力

その3年間を振り返ると強制された3年間でした。
成果を出すことを強制される。この一言です。大学を卒業して初めて社会に出た状況の中で、成果を出す為に全ての行動を強制されます。

そして、セールストークのロープレは一切やったことがありません。全て実践です。2回目の営業までは先輩と同行、3回目からは1人で動きました。営業の質よりも量の世界です。いかにニーズを発見するか。そのために、日々300件程度の電話をかけます。

2年目ごろからその量が減少します。量が質に転化していきました。営業のサポートがつくのも大きかったですが、質が向上しているので、成果にも繋がりやすくなっていきます。好循環が生まれていました。

全て強制から始まっています。
その時点の自身が強制されていなければ、同じ成果が出たかどうかは分かりません。ただ、あの時の未熟な自分自身では強制された方が成果を出す為には強制された方が良かったのは明確です。この3年間の経験がそれからの25年間のベースになっているのは確かです。

そして、これから

現代の社会においては、強制される機会は激減しています。三陽工業においても同様です。自分で考えること、能動的な思考と行動が求められています。

能動的な思考と行動を取ると、修正が容易になります。そして、上手く行かなった事、一般的に失敗と言われる様なことも経験として自身のレベルアップに繋がっていきます。

強制される、能動的に動く。
どちらが持続可能かと言うと、間違いなく能動的に動くことです。釣りが好きな人は朝の3時起床という一般的には過酷なことでも嬉々として行います。夢中になっていることに対しての辛さ、しんどさはそれも含めての喜びと感じる事ができます。

目の前で見続けて来た、製造派遣業界への違和感。その世界から放り出されてしまう人の虚無感。それを当たり前の世界にしたい、そして元気にしたいという想いで誕生した生産推進グループ。生産推進グループのモデルは数人の人達です。今でも三陽工業を支えてくれています。

これからも夢中になっていきます。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!