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【453球目】1月17日

本日は1月17日です。noteが投稿されるのは1月18日なので1日ずれていますが、改めて1月17日に対する想いを書いていきます。


1995年1月17日

今から28年前の1月17日。午前5時46分に阪神淡路大震災が発生しました。

当時、私は高校2年生の17才。野球部に所属しながら、高校生活を過ごしていました。冬の寒さにやられたのか体調がすこぶる悪く、インフルエンザかなと思うような発熱もあり、その上で次の日に古典の小テストがあるということで、勉強もしないといけないし、そんな感じで日常を過ごしていました。1月16日の夜かその前の日の夜に、震度1の地震がありましたね。私は気づきませんでしたが、妹と母親が気づいた記憶があります。そして、そのままいつも通り就寝です。

ドーン。

音で起きました。縦揺れの音です。次の瞬間、大きな横揺れが始まりました。ベッドの中で動けずにただただ揺れが止まるのを待ちました。その記憶は鮮明に残っています。多くの人がそうでしょう。
当時、17才、高校2年生。とても大きな経験となりました。私の住んでいた神戸市垂水区は神戸市の中でも西側にあります。水道やガスといったライフラインは長期間停止をしていましたが、家や家族は無事でした。学校は1~2週間お休みだった記憶があります。その年の選抜高校野球は兵庫県から3校出場しましたし、高校の体育館はずっと避難所として避難先になっていました。


28年経って

あれから28年が経過しました。

17才の私は45才になっています。いま、元気に生きていることに感謝です。当たり前が当たり前ではない。三陽スタンダードにも書いてあることですが、改めて1月17日はそれを強く感じさせてくれる日です。人の記憶は薄れていきます。その中で、この1月17日を改めて思いだしながら、今のこの状況、大変なことも数多くありますが、その大変なことも感じることが出来るのは、生きているからこそです。生きていることに感謝する。だからこそ、毎日を120%で生きていく。周りに感謝しながら、誰かを応援していく。

1度しかない人生も、気づけばそこそこの場所まで来ています。45才という年齢がある所では若いと言われます。ある所ではベテランと言われます。あと5年、10年すると若いと言われる場所はなくなるでしょう。その時に、自分自身がどうなっているのか、どうなりたいのか。改めて、様々な角度からの思考を巡らす1日となりました。

生きていることに感謝

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。




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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!