【880球目】最終戦
今週末は全日本ロードレースの最終戦が三重県の鈴鹿サーキットで開催されます。今日は、そのお話です。
鈴鹿サーキット
日本で最も有名なサーキットでしょう。
本田宗一郎さんと藤沢武夫さんが作ったと言っても良いサーキットです。ホンダの経営が決して良いとは言えない時に、このサーキットが作られたのは1962年。日本で最初の高速道路は1963年に出来ていますので、それよりも早いのです。道路公団の人達が視察に来たということをホンダの方が仰っていましたね。
丘陵を切り拓いて作られたこの鈴鹿サーキット。
今では、街の中にあるサーキットです。日本の他のサーキットは、そのほとんどが、山の中にありますが、この鈴鹿サーキットは異なります。サーキットができてから街が出来ていったのでしょう。近くには本田技研鈴鹿製作所もあり、ホンダの街と言っても過言ではないですね。
サーキット以外にも
この鈴鹿サーキットには、隣接して遊園地とホテルがあります。夏場にはプールも営業しています。ホームページを見てみると、ホテルの施設内に1年ほど前に温泉施設もできており、さらに充実したものになっていますね。鈴鹿8時間耐久レースの時には、プールに浸かりながら大型ビジョンでレースの状況を見ている写真をXで見て、とても羨ましかったものです。
そうそう、キャンプ場もあるみたいですね。非常に充実した施設になっています。本社のある明石市からは車で約3時間とちょうど良い距離になっています。
最終戦
そんな鈴鹿サーキットで全日本ロードレースの最終戦が開催されます。
土日とそれぞれ決勝レースがありますので、残り2戦ですね。既にタイムスケジュールも出ています。
土曜日は、仕事の都合で行けそうにないので、日曜日のピットウオーク狙いで向かう計画をしています。そんな最終戦を前に、バイクレースに対しての想いを改めて書いていきます。
2016年
それまで全く興味がなかったロードレース。
バイクの仕事をしていながら、興味がなかったのですが、そういう人は周りに数多くいます。社内のみならず社外でもです。2016年の鈴鹿8時間耐久レースに初めて、スポットのスポンサーとして関わり始めました。初めて現地で見たレースが2016年の鈴鹿8耐です。会社規模は今の4割程度です。今と比較すると小さな会社が生産推進グループを始めたばかりの時期に、バイクチームのスポンサーを始めました。
現地で感じた熱気、バイクの音、スピード。どれもこれも新鮮で刺激的でした。
来年で
コロナ禍による鈴鹿8耐の中止がありましたが、2016年にバイクレースのスポンサーを始めて来年でちょうど10年になります。10年ひと昔とはよく言ったもので、10年前のバイクレースの環境も、私達を取り巻く環境も、そして私達の思考もこの10年間で変化をしてきています。
KRP=Kawasaki Repayment Project
です。Kawasaki恩返しプロジェクトですね。三陽工業は15年前と比較すると、別会社と言っても良いほどの規模に成長し、10倍以上の社員が働いています。元々はバイクの仕事がほとんどでした。そこから大きな変化を遂げています。
そんなバイクに、Kawasakiに恩返しをしたい。そんな想いで始まったこのKRPです。10年という区切りはより深い思考をもたらしてくれます。これからもKawasakiへの恩返しという想いを持ちながら、私達にとって最適な思考と行動を継続していきます。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします!!