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【460球目】バイクの話。

週に1回、ロータリークラブなるものに参加しています。ロータリークラブとは?という人の為に少しだけ説明しますと、

ロータリークラブ (Rotary Club) は、国際的な社会奉仕連合団体「国際ロータリー」のメンバーである単位クラブ。会員のことをロータリアンという。最初のクラブが例会場所を輪番(ローテーション)で提供しあったことから「ロータリー」の名がついた。
理念
ロータリーは人道的な奉仕を行い、すべての職業において高度の道徳的水準を守ることを奨励し、世界においては、親善と平和の確立に寄与することを指向した、事業及び専門職務に携わる指導者が世界的に連携した団体である。

Wikipedia

こんな感じです。私は明石北ロータリークラブに所属をしています。そのロータリークラブで毎週1回の例会の際に卓話という30分間のお話をする機会があります。2月末に私がお話をするのですが、今日はその時にお話をしようと考えている内容について書いていきますね。


バイクの話

明石と言えば何の街?

子育て、本、タコ、鯛、アナゴ、色々とありますが、明石と言えば、バイクの街だと私は考えています。国内でバイクを生産している地域は

ホンダ・・・・熊本県菊池郡
ヤマハ・・・・静岡県磐田市
スズキ・・・・静岡県浜松市
カワサキ・・・・兵庫県明石市

この4つだけです。日本国内に4ヶ所しかない場所がこの明石市にある。そう考えると、バイクの街と言っても過言ではないと思います。もちろん、4メーカーともに、海外でもバイクを生産していますが、主要な大型モデルはこの国内の生産工場で創られており、世界各地で走っている現状です。


バイクブーム


まず、1970年後半〜1980年前半に巻き起こった空前のムーブメント「第1次バイクブーム」によってミニバイクや750㏄が一世風靡しました。次の大きな変化としては1980年代中盤からの「第2次バイクブーム」です。 このときは、各社からレーサーレプリカモデルが発売され、空前のレプリカブームとなりました。汚れた英雄(映画化1982年)やバリバリ伝説(1983年)は当時のバイクブームを象徴するような作品です。そして、現在再びバイクブームと呼んでも良い流れが来ています。


                                   日本自動車工業会調

上の表から見ると、総台数は1980年がピークで643万台。最も少ない台数は、2020年の48万台。
ピーク時からすると1/14です。ただ、これは台数の大きな原付を含んでいますので、それを除くとピーク1980年の394万台に対して2020年が最小で36万台。それでも1/10程度です。国内オートバイ市場はピークの1/10と言われていますが、それに近い数字がココではでています。2020年の生産台数は落ち込んでいますが、2021年にはその数値が大きく上がっており、2022年も上昇が予測されています。そして、今では自動車と同じようにバイク屋さんにバイクがない、そんな状況になっています。


バイクレース

三陽工業も参戦をしている鈴鹿8時間耐久レース全日本ロードレース

鈴鹿8時間耐久レースは全盛期より減少したとは言え、まだ集客力もありそして知名度もあります。全日本ロードレースは、映画・汚れた英雄バリバリ伝説では、とてつもない人の数と熱気で表現されていますが、今はその熱気はどこへ行ってしまったのかという状態です。

全日本ロードレースのサイトです。JSB1000、ST1000、ST600、J-GP3という4つのカテゴリーに分かれている、バイクレースとしては国内最高峰のレースです。この下に各地方でのロードレースも存在しており、各地方においてもレースが開催されています。大分、岡山、鈴鹿、茂木、筑波、菅生のサーキットで開催されています。大分県から宮城県まで全国各地での開催ですので、ぜひ一度足を運んで頂きたいものです。現地の迫力は凄い。それはお約束できます。ちなみにKRP三陽工業&RS-ITOHはこの全日本ロードレースのJSB1000というトップカテゴリーに参戦をしています。


バイクの未来

自動車と一緒でどうなるか分かりません。電動バイクも各メーカー開発していると雑誌やネット記事には掲載があります。自動車以上に趣味嗜好が強いバイクが仮にモーターで動くようになると、音も無く振動もないバイクが出来上がります。風を感じることはできますが、音・振動・風のうち2つが無くなってしまうのは残念なことですね。水素エンジンの可能性もあるとは思いますが、車以上にクリアランスが無いバイクのどこに水素を積むのかは想像がつきません。


仮説、もし明石からバイク生産が無くなったら

こんな話を最後にしてみようと思っています。

三陽工業はリーマンショック以降の14年間で大きく成長が出来ましたからバイク生産が無くなったとしても会社が無くなることはありません。もちろん大きな打撃ではありますが。カワサキがバイクを生産することを止めることはないと思います。ただ、明石で生産をしないという意思決定の可能性は0ではないと考えています。海外生産が増えています。中小型のみならず、大排気量のバイクでも海外工場で作ることが出来る様になって来ています。そう考えると、バイクは生産するけれど明石では作らないという時がどこかで来ないとも限りません。もしそうなれば明石という地域に対してはとても大きな打撃になるのではないかと考えています。大きな企業ですから専属の下請け会社もあります。西明石駅や林崎松江海岸では多くの人が乗降をしています。食事や宴会需要も多いでしょう。地域に対しての貢献は小さくないと思います。

もっともっとこの街をバイクの街にしたい。

抵抗は大きいかもしれませんが、そんな想いを持っています。地域を大切にする。地域の未来を考える。地域には個人も企業も存在します。両方を考えていかないと未来はありません。明石の未来はどうなっているんでしょうか。私たちがそれを創れるくらい大きな存在になりたいですね。大筋はこんな感じで話す予定です。もっと整えてはいきますが。お付き合いいただきありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。


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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!