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【511球目】7億1800万円



一生忘れることのできないこの数字。7億1800万円は三陽工業の第30期、今から13年前の1年間の売上高です。今日はこれについて書いていきます。


リーマンショック後の1年

三陽工業の第30期は、2009年3月から2010年2月までの期間です。

2008年の年末くらいから日本国内においてもリーマンショックの余波が出てきました。リーマンショックが発生した年度、第29期は2009年2月末までなので、若干の影響はありましたが、おおむね例年通りの約12億程度の売上高で終わりました。ところが、年末から年始にかけて、メーカー各社の翌年度の生産計画が大幅に下方修正。当時の私達も完全にその渦中にいました。人はいらない、仕事は減っていく一方。製造派遣業界は過去一番くらいの激震だったのではないでしょうか。そして、その影響を未だに引っ張っている企業もあると思います。それくらいの激震のあとの第30期。蓋を開けると、三陽工業の売上高は7億1800万円という数字で着地をすることになりました。


30期にやったこと

すぐさま役員報酬を下げました。当然のことです。

この30期においては、社用車の売却等の経費圧縮の1年でした。1年間、求人費も使っていません。殻に閉じこもってじっとしていた。そんな表現が正しいと思います。多くの企業で行われていたゴルフコンペも軒並み中止になっていきました。当然だと思います。ゴルフをやっている場合ではない、みんながそう思っていました。飲みに行った記憶もありません。経済全体が沈下していったイメージです。今振り返ると、とんでもない外圧を食らっています。当時の私は32才になる年です。色々と考え抜いた1年でした。


考えた末に

考えた末にこのままではダメだ!動こう!

そう考えるまで少し時間を要しています。ただ、一歩踏み出すことができました。その一歩目はとても勇気が必要でした。今でこそ当たり前になっていますが、やったことがないことをやってみよう、その気持ちを持ちながらも、周りの反対はありました。当時の社長に相談しなくなったのもこの頃です。自分でやらなければいけない、そんな想いが強かったのでしょう。前へ進むしかない、そんな想いを強く持っていました。


あれから13年

三陽工業は今期44期を迎えています。

先月からスタートしているのですが、3月の数字が出ました。初めて、単月・単体で第30期の年間の売上高7億1800万円を超えました。1つの通過点です。ですが、私としては大きな節目だと考えています。1年間の売上高を1ヶ月で達成する。言葉にすると簡単ですが、当時からすると考えられないことです。今期、44期。良いスタートが切れています。


そして覚醒

今期、44期。覚醒の年です。

今まで、リーマンショックやコロナ禍という外圧によって三陽工業は覚醒してきました。この覚醒を自らの手で起こす。この2年間でその下地は出来ています。今期の覚醒が三陽工業の未来を創る上で大きな礎になると考えています。正しい思考と行動が全ての拠点、部署で行われる。そうすればタイムラグはありますが、必ず成果は出てきます。絶対に。三陽工業が今まで歩んできた道は普通ではありません。普通=多数派という意味です。当然です。思考と行動が普通=多数派ではないから。やったことがないこと=少数派のことが多いですからね。そう考えると今の三陽工業があるのも必然かもしれませんね。

そして、その必然を創り上げたのは、三陽工業で働く1人1人の力です。本社で働く人も、九州で働く人も関東で働く人も、全ての人の力が結集されて今の三陽工業が出来上がっています。三陽工業が三陽工業である為に、今日もまたシンカをしています。13年後、どうなっているでしょうか。1年の売上を1ヶ月で達成する。昨年の売上高は約74億ですから、それを単月で達成する。74×12=888です。年間の売上高は888億ですね。そうなっているかどうか。13年後からこのnoteを見返してみたいものです。

最後に、社歌コンテストの応募作品が続々とアップされています。今も聴きながら書いています。多くの魅力的な歌が届いていますので、ぜひ聴いてください。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

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三陽工業株式会社公式 代表取締役社長note
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!