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【957球目】Kawasakiについて

=社長ラジオ【31球目】の内容です=

皆さん、こんにちは。日本の製造現場を元気にする三陽工業の井上です。
本日は「Kawasaki(川崎重工)について」お話をしていこうと思います。

バイクの話をしたり、バイク業界とかのお話をラジオ配信でもさせていただいたんですけど、今日は三陽工業と川崎重工との関係性みたいなところについてお話をします。少し歴史のような話にはなってくるんですけど。


▼昔は直接の口座はなかった

三陽工業は今現在45期目を迎えています。3月からは46期目になるんですけど、この45年間、Kawasakiのオートバイの仕事。川崎重工さんで言うと、オートバイ以外のお仕事もさせていただいているんですけれども、もともと、45年前Kawasakiとのお仕事をしてたかっていうと、仕事はしてました。

ただ、会社ができてすぐぐらいの時は、直接の口座はなかったんです。いわゆる二次下請けのような形で、川崎重工さんの構内での二次受けのような形で仕事をしていました。

これは本当に感謝してもしきれないんですけれども、当時まだ私の祖父が元気だった時に、祖父と親しくしてた川崎重工のOBの方が三陽工業に入社をしてくれたんですね。川崎重工の明石工場の中ではいろいろと三陽工業の社員の仕事をしてたので、そういうところも見ていただいて入社をしてくれたわけなんですけど、その方もお亡くなりになられてます。祖父も亡くなってますけど。

山下さんという方で、小さい時、本当に小学生の時にお年玉をいただいたり、年賀状をいただいたりで、また大学生の時にもお手紙をいただいたんですね。跡継ぎとして認識をしていただいてたんでしょう。

すごくよくしていただいた記憶しかないんですが、その山下さんが三陽工業に入社をしてきて、入社をしてから気づかれたんです。「あれ?」って。川崎重工と直接の取引、直接の口座がないんだっていうこと。二次受けなんで直接の口座がなかったわけなんですけど。そこに気づいて、「そうか」と。

「ちょっと待っていて」って言って、三陽工業の当時の本社を出られて2時間ぐらい、川崎重工の明石工場へ行って、帰ってこられて、山下さんが開口一番、「口座とってきたよ」って言われたそうなんです。今思うと、え?みたいな話なんですけど、当時は山下さんがそのまま、口座ないんだ、じゃあ作ってくるねって言って、明石工場に行って2時間で口座ができたっていう、そんな大らかな時代ではあったわけなんですけど、そんなこんなで初めて直接の口座ができて、そこから外でも工場を構えるようなお仕事をいただいたりしてきたわけなんです。


▼リーマンショックまで

2008年のリーマンショックが起きるまでっていうのは、三陽工業は川崎重工に対して、川崎重工のオートバイ部門に対しての売上比率っていうのが9割を超えるような、そんな会社でした。一生懸命やってた自負ももちろんありますし、派遣だけじゃなくて、今のベースになるような研磨の仕事もしてました。物流の仕事も小さいながらしてましたけど、今と比べ物にならないぐらい小さな規模感です。

それがリーマンショックを経て、我々が県外にも出ていくようになって、企業として成長していく過程において、川崎さんとのお付き合いっていうのも、より充実をしてきた。


▼時を経て強くなった繋がり

例えば我々の今、物流ユニットっていう部署があります。魚住のセンターは建屋の面積が770坪あります。総敷地で1000坪ぐらいあります。その同じぐらいの規模がもう一箇所あって、別のところにももう一か所。トータルで言うと3000坪を超えるぐらいの敷地で、今、Kawasakiの仕事をさせていただいているんです。

けど、もともとは本当にマンションの1階の小さな部屋で、ハイエースが1台と社員が1人、パート3人みたいなところからスタートしてます。そのスタートするきっかけも、当時、既存の業者さんが面倒くさいこととか儲からない仕事はやりたくないって言ってたそうなんです。それを我々が引き取らせていただいて、やり始めた。人が嫌がるようなことをやり始めたっていうのがきっかけです。

研磨に関してもそうです。今は2カ所工場を構えてますけど、その1箇所の半分もないぐらい、1/3もないかな。本当に1/5ぐらいの規模の広さでやり始めた。本当に最初は小さな小さな仕事から始めて、それが少しずつ少しずつ大きくなって今に至るというところなんです。


▼Kawasakiに対する想い

やはりKawasakiのオートバイ、オートバイだけじゃなくて、ロボットであったり、建設機械の部品であったり、航空機もそうです。それは川崎重工という会社に対して非常に想いを持ってます。どんな想いかっていうと、我々のベースになっているようなことを、ものづくりのベース、研磨のベース、物流のベース、製造派遣のベース、すべて川崎重工を通じて、我々が1つのノウハウとして確立できるようになりました。

その1つ1つっていうのは、本当にこの明石という場所で川崎重工さんとお仕事をするにあたって、身につけてきたもの。私自身は育てていただいたという想いを持ってるんです

例えば研磨の仕事、今本当に数10社現場でお仕事をさせていただいてますけど、品質において困ったことって、これ実はないんですね。これは本当にKawasakiのオートバイの研磨を通じて、それがトップレベルです。

逆に、いかにしてその品質を下げていくかという、これはこれで難しいことなんですけど、それ以上の品質を求められることって基本的にないんですよ。そういうことを繰り返しながら、今、仕事の幅がどんどん広がっていっている状態。

ベースは、Kawasakiのオートバイの部品の研磨で鍛えられた我々の職人の腕っていうところがベースになってる。それが外の世界に出てもしっかりと通用しているっていうのは非常にありがたいですし、これはもう感謝をしてもしきれないというところ。

最終的には本当に「日本の製造現場を元気にする」というビジョンを達成していくことが、Kawasakiというメーカーさんに対しての大きな恩返しだとも思ってますし、なんならこの製造派遣という世界、研磨という世界において、今やってるM&Aもそうですね。

我々がもっと業界においてプレゼンスを出していく、力のある企業になる、なんなら日本一の企業になっていくっていうことが、より大きな恩返しにつながっていくんじゃないかなと。そんな想いを持ちながら、仕事は今日もしていきます。

本日はこの辺で。
ご安全に!

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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!