【6球目】株式会社アイコム
福岡にて
福岡のご飯屋さんで、お話をさせて頂きました。
リーマンショックでこんな状態なので、三陽工業として新しい一歩を踏み出したい。このタイミングで一緒に仕事をさせて頂きたいと考えているのですが、いかがでしょうか?
内心、断られた時の準備もしていました。
というのも、そのお会いした時点で、その人は前職の時と同様、オーナーは別にいらっしゃるとはいえ社長でした。
8:2くらいで分が悪いかなと考えていたところ、
よし! わかった! すぐ動こう!
との回答が返ってきました。
えええええええええええええええええええええええΣ(・ω・ノ)ノ!
そんなすぐに決めていいのかな。
すぐに動いて1ヶ月半後って言ってますけど、ちょっと早くない?
その人の住むところはどうしよう?
役職はどうする?
色んなことを考えながらではありますが、でも
結果はどうあれ、これで一歩踏み出せる!
この確信だけ持って、明石へと戻ります。
福岡って、なんであんなにご飯が美味しいのでしょうね。
でも、博多に行くとよくイカを食べます。
博多にいても佐賀を感じられるのはいいですよね。
博多駅にも、さが錦売ってますし。もちろん買いますよ。
ちなみに栗が好きです。
エヴァンゲリオン新幹線が走っていた時にはエヴァカフェがありました。
今はキティちゃんカフェがあります。
て書いていたら、博多に行きたくなってきました。
コロナ禍で全然行けてないですからね。
2010年9月株式会社アイコム設立
当時の三陽工業は、ものづくりと派遣事業。
リーマンショックにより派遣事業は壊滅状態で、売上もすごく小さかったのです。
新しい動きをやる会社として、株式会社アイコムという会社を設立しました。私が社長に就任をしました。
当初は、この会社で派遣事業を推進していく予定でした。
色々会社名の候補を出しました。
30個くらいあったんじゃないかな。
その候補の中から、最終的に私が決めさせていただきました。
アイコム=愛コム=愛込=愛を込める
こんな感じです。
新しい動きを始めた時、不安でいっぱいでしたが、もう動くしかない。
そう考えてひたすら行動をしていると、少しずつですが成果が上がってきました。唯一の誤算は、明石近隣で株式会社アイコムとして営業していても、お客様が三陽工業と取引を望むケースが多い事でした。
そりゃそうですよね。
社歴1年の会社と社歴31年の会社。しかも同じことができる。
それは誰が考えても、三陽工業と取引を望みますよね。
そうこうしているうちに、営業社員を募集しようと活動を始めました。
新しい動きの中の新しいメンバーを募集です。
入社して初めて、新たに営業社員を求人媒体を使って募集することになりました。この時に入社をしたのが2名。
1名はいま、福岡常駐の常務取締役になっています。
もう1名は三陽工業NO.1の新規アポインターかつ新規営業グループのリーダーになっています。
2人ともに、三陽工業の前の本社(明石市別所町)で机を並べて仕事をしていた仲間です。数少ない、前の本社を知っている社員ですね。
もう10年以上経過しているのかと思うと、あっという間な気がします。
入社初日なので、定時で帰ってもらいました。
1週間くらいは定時で帰ってもらおうと思っていたら、2日目に
何でもいいので残業させてもらっていいですか?
と来ましたよ。
その意気込みは、十二分に買わせてもらいました。
この当時はこの2人が新しい社員だったのですが、今はすっかりベテラン社員です。時間が経つのは早いですね。
株式会社アイコム岐阜営業所
明石を含めた近隣で、営業活動を推進していました。
明石から北へ1時間くらい行った所に、加東市という町があります。
リーマンショック前は、1時間の距離がある加東市まで手を広げることにはとても抵抗がありましたが、今は全くそんな感性はありません。
これを書きながら、そこに抵抗があったなと思い出して、なんか懐かしさと自分自身の小ささを思い出していました。
新人も入って来て、少しずつではありますが、前へ進んでいる実感はありました。そして、そんな時です。
川崎重工の製造子会社から依頼を頂きました。そして、場所は岐阜県。
岐阜県ね。
一度研修旅行で岐阜工場へ行ったことがありました。
そこでビジネスをしていくイメージは、前職の甲府営業所のイメージで頭の中では描くことが出来たので、問題はありません。
ただ、どこかやはり不安です。
やったことがないことをやる時は、不安になりますよね。
そんな不安を消す為に、私が取った行動とは・・・・・
明日書きますね。