【97球目】鈴鹿8時間耐久ロードレース
2020年は延期からの中止になった鈴鹿8時間耐久ロードレース。
2021年もいつもの7月ではなく11月1週目へと延期になっています。
先日、KawasakiからKRTの参戦が発表されました。
2016年の鈴鹿8耐から関わらせて頂いていますが、今日は少しその振り返りをしていこうと思います。
2016年の8耐
RS-ITOHの伊藤さんとのご縁があって、初めてスポンサーをさせて頂いたのが、この年の8耐でした。
元々あるデザインに、半ば強引に三陽工業のステッカーを貼って頂いたことをすごく覚えています。
そして、私としても初めてのサーキット。
バイクレースを見たことがなければもちろん、サーキットにも行ったことがありません。
ゲートを通って駐車場からピットへ向かうまでに聞こえてくるエンジン音。
一気にテンション上がりましたね。
そこからピットへと入るまでの間は以前のnoteにも書きましたが、甲子園球場で通路を通って初めてグランドが見えた時の興奮と、よく似ていました。
メインスタンドは赤・青・緑で埋め尽くされて、イベントやショップ、出店を回っているとお祭りの様な感じです。
とても多くの人が来場していましたが、数十年振りに鈴鹿8耐に来たという社員が一言。
人減ったなぁ。
Σ(・□・;)驚きました。
これで減った?
以前はどれくらいの人がいたのか。
多くの人と熱気に包まれた鈴鹿8時間耐久ロードレースが私の最初の体験でした。
バイクの仕事を数十年と三陽工業でさせて頂きながら、この世界に無縁だったことを恥ずかしく思ったのと同時に、これから出来ることはやる、そんな想いを強く持ったこの年の8耐です。
社員が楽しんでくれていた姿も、とても印象に残っています。
レース結果はSSTクラスで優勝となり、伊藤さんの凄さを直に感じさせて頂きました。
そして、明石に帰って来た時に、駐車場で小銭が無くて困っていた人がいたのも良い思い出ですね。
2017年の8耐
この年は、40回という節目の大会でした。
三陽工業としても初めて、KRP三陽工業&RS-ITOHとしての鈴鹿8時間耐久ロードレースへの参戦となりました。
結果は⇧ここに載っています。
2017年から直近まで全てHPに載っていますので、振り返るにはとても便利です。
この年はSST2位。
やはり伊藤さんの凄さを感じましたね。
個人的には、HPにも写真が載っていますが、夜の赤・青・緑のライトアップされたメインスタンドがとても好きです。
8時間を走り切り、様々な感情が交錯する。
ありがとう!また来年もよろしくね!と言われているような最後の花火。
そして、その花火を見ながら帰り支度をして、家に着くとだいたい12時くらい。決勝は日曜日ですから次の日は普通に仕事です。
充実感と疲労感の混じった月曜日が、これまた新鮮でした。
2018年の8耐
この年の印象が何となく薄いなぁ、と思っていたらそれもそのはず。
14周目で転倒によるリタイアでした。
14周目なので、スタートから約30分。
ライダーにケガが無くて良かったですが、スタートしてメインスタンド側に行った所のモニターで、その姿を見ました。
残念な結果になりましたが、この年は翌日の月曜日が疲れていなかったことをよく覚えています。
2019年の8耐
KRP三陽工業&Willraise RS-ITOHとして、EWCクラスに出場しました。
予選は11番手と今までにない順位で通過です。
あと1つでトップ10トライアルという凄い所まで行きました。
ライダーは柳川さん、岩戸さん、マークアチソン。
決勝でも一時は7位(記憶が定かではありませんが)まで上がって、とても興奮したことを覚えています。
しかしながら、無念のリタイアでチェッカーを受けることは出来ませんでした。
この年はKRTがジョナサンレイを擁して走っていたんですね。
昨年とは異なり、優勝するかもしれない。
Kawasakiの優勝は26年振りです。
これは見なければならない。なので最終まで残ってました。
日も落ちて、8時間まで後数分。
ジョナサンレイがファイナルラップへ入った時、自分たちのピットでモニターを見ながら、良かった、Kawasakiが26年振りの優勝だ!と思っていた瞬間、まさかの転倒です。
あの時のサーキット全体に響き渡った歓声というか悲鳴というか、何ともいえない雰囲気は一生忘れません。
結果、優勝ということになりましたが、どうも後味は悪かった。
翌年こそはスッキリと優勝して欲しいと思っていたら、コロナによる中止。
2021年も先々はまだ分かりませんが、もし出来るのであればスッキリとした優勝を見てみたいものです。
三陽工業のさよりんも大活躍した、鈴鹿8時間耐久レースでした。
とても簡単に纏めましたが、書いているとサーキットに行きたくなってきましたね。そして、今年は8耐のみのスポンサーとしての参戦になっています。来年がどうなるか分かりませんが、熱くバイクレースをしている人達を少しでも支えることが出来ればと考えています。
まずは11月、まだまだ予断を許さない状況ですが、可能性を信じています。
本日もありがとうございました。