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【261球目】何のために働くのか

あなたは何のために働いているのですか?

そんな質問があればどう答えますか?何のために働いているのか。今日はそんなお話をしていきます。


20代前半の時

大学生時代のアルバイト。何のために働いていたかと聞かれるとお金の為と答えます。野球がないオフシーズンは漁協の海苔の集荷場へ行っていました。何のために?お金の為にです。

大学を卒業して社会人になりました。何のために働いていたか?もちろん、1人暮らしなので生活の為、お金の為がまず来ます。そのうち、数字を上げることの心地よさを知ってしまうと、自分の数字を上げたいという欲求を満たす為に仕事をしていた様な気がします。お客様の為とか、社会の為とか、そんな考えは薄かったですね。自分の数字を上げたい欲を満たす為に仕事をしていた、そんな20代前半でした。個人プレーの会社でしたから、よりそういう意識も強かったかもしれません。

2つ目の会社は個人プレーの部分もあればチームプレーの部分もありました。事前準備や調整といった仕事がここでは出てきました。当初は違和感でしたが、それの大切さにも気づかせてくれました。この2つ目の会社では何のために働いていたか?そう聞かれると、三陽工業に戻った時に戦力になる為、ハッキリとこう言えます。

この会社でも非常に学ぶことは多かったです。これは今にも生きています。


20代後半から

三陽工業に入ってからは何のために働いていたか

最初の2年間は1日でも早く周りから認められたい、そんな欲求を持って働いていました。事業承継者が入社する時は、マイナスからスタートします。そう考えていた私は、とにかくそのマイナスをまずは0にしたかった。三陽工業内でも覚えることは数多くありましたから、それで精一杯でした。

そんな流れの中でリーマンショックを迎えます。

リーマンショック後は何のために働いていたのか。1つはこのままだと会社が大変なことになる可能性がある、そんな恐怖感を持って働いていたので、会社を建て直す為ですかね。ただ、よく覚えているのは、売上が7億1,800万へと落ちた時に、シンプルにカッコ悪いと感じました。7億やそこらの会社を継ぐために三陽工業に入社した訳ではない。

今なら、売上が小さくても魅力的な会社は数多くあると認識していますから、規模が小さい=カッコ悪いとは思いませんが、当時は強烈にそう感じたことを記憶しています。なのでカッコ悪い状態をカッコよくするために働いていましたね。

生産推進グループが出来るまではその想いで走っていました。


生産推進グループが出来てから

そして、生産推進グループが出来てから、何のために働いているのか。

ひとこと、人の役に立つ為です。

三陽工業に入社しなければ、今の良い人生はなかった、そう思ってくれる人を1人でも多く創りたいと考えています。世の中、理不尽なことだらけです。しかし、それに不平不満を言っていても気持ちは楽になるかもしれませんが、現実は何も変わりません。だったら、不平不満を感じても、それを変えるという前向きな思考と行動を取り続ければいい。そもそも生産推進グループも私がこの製造派遣業界に感じていた違和感から生まれています。

製造業で働くことと、製造派遣業で働くことにこんな差があることはおかしい。

だから、生産推進グループが出来ました。とても能力があって、優秀で、どの会社に行っても通用する人は個人の能力のみで勝負できます。今の社会はどちらかと言うとこういった人を望んでいるかもしれません。しかしながら、そんな人ばかりではない。どの会社に行っても通用しないかもしれないが、三陽工業では凄い力を発揮することができる、私はそれでいいと考えています。みんながみんな、そんな優秀な訳ではありません。

一部の優秀な人のみにフォーカスをした考え方には違和感を覚えます。

成果を出せばいいのですから、どんな考え方であってもそこはいいのです。三陽工業が成果を出せるかどうか、その考え方が正しいのかどうかの答え合わせです。その為に、色んなことをやっています。これからもやっていきます。やったことがないことをやってみよう、三陽工業にある言葉です。真面目に一生懸命働く人が報われる世界を創る。

三陽工業の存在意義です。


まとめ

何のために働いているのかを順番に纏めるとこうなりました。

お金→自分の欲→三陽工業に戻って戦力になる→周りから認められたい→会社を建て直したい→カッコよくしたい→人の役に立つ

マズローさんは正しいですね。本日もありがとうございました。明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!