【342球目】ありがとうとごめんなさい
仕事だけではなく、生きていく上で大切なことです。
しかも、小さいこどもでも分かること。これができないと信用されなかったり、応援されなかったり、自分がとても損をしてしまいます。今日はそんなお話です。
ありがとう
ありがとうを言える人とそうでない人。
何が違うんでしょうね。
当たり前と思っている?
変なプライドがある?
感謝の気持ちを持つことができない?
理由は色々あるとは思いますが、とてもとても損をしています。ありがとうは連鎖をします。ありがとうと言える人は誰かからありがとうと言われるでしょう。よく応援する人=される人=成功する人、の話をします。ありがとうも同じです。ただ、ここで理解をしておかないといけないのは、例えば自分がAさんにありがとうを伝えたとしても、必ずしもAさんからありがとうが返ってくるとは限らないことです。返ってこないからといって、ありがとうを止めてしまうと、自分もAさんと同じになってしまいます。
自信を持って、ありがとうを伝え続ける。
今回は返ってこなかったかもしれないが、伝え続ける。そうすると、他の誰かが返してくれます。今の三陽工業の仕事も同じです。HR事業や製造事業でやっていることは他の会社と比べると非常識なことばかりです。そして、非常識なことは相手になかなか伝わりにくかったりします。伝わっている人が主任になっているのでしょうけれど、まだまだ全員にそれが伝わりきっている訳ではありません。
それでも伝え続ける。
会社の想い、自分の想い、その想いを受けての思考、そして行動。自らを信じてブレずに行動する。それが自信ですよね。相手の思考や行動が自分のイメージとギャップがあることがあります。そんなことはよくありますよね。そんな時に、自らを信じブレない。自信というものはそういうことではないでしょうか。そして、その自信を持った思考と行動で成果を出す必要があります。時に、根拠の無い自信を肯定することもありますが、それは時として変なプライドとして、自分の成長の妨げになります。
ありがとうと素直に言える人。
そんな人を1人でも多く増やしていきたいですね。
ごめんなさい
ありがとうと本質は同じです。
自分の非や能力不足を認めることから始まるこの言葉。自身を客観視する、俯瞰で見ることや、謙虚な気持ちを持っていればこのごめんなさいはスッと言えるはずです。役職者や年輩者にはごめんなさいが言えない人が多いかもしれませんね。自分は偉いと思ってしまうと言えないでしょう。
私も中学生の時に野球部のキャプテンをしていた時は言えませんでしたね。
偉いと思っていた訳ではありませんが、ある日突然の指名だったので、その責任感に押しつぶされるそうになりながらやっていたので、弱みを見せたくないというか、虚勢を張っていたというか、そんな感じでした。
高校も若干その名残はありましたが、大学ではそんなことはなく、社会人になると、そういった経験値がとても自分にプラスに働いていました。役職に就く疑似体験をさせてもらったのですから、そういった面においても野球という競技には感謝しています。
こどもの時は
自分がこどもの時に、ありがとうとごめんなさいがしっかりと言えていたかどうかは分かりません。
ありがとうとごめんなさいはこどもでも理解できる言葉です。これを大人が使えないと、それを見るこどもは使えなくなりますよね。そして、ありがとうとごめんなさいは意識して使う時もありますが、無意識の中、潜在意識の中から出てくるべき言葉です。自分の潜在意識に、ありがとうとごめんなさいを言える気持ちを持っていれば、それが言葉としてスッと出てくる。
そういう人は謙虚でしょうし成長していきますよね。ありがとうとごめんなさい。とても大切にしています、そしてこれからも大切にしていきます。
本日はありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。