70's Rockコンサート Rainbow 1976
12月2日東京体育館日本ツアー当然満員の初日。私が見たディープ・パープルはギタリストがトミー・ボーリンだったのでリッチー・ブラックモアの生は初めてだった。アリーナ席の真ん中より後ろしか買えなかったが、「こんな人が来てる!」的なミュージシャンもちらほらいてそれはそれで楽しかった。前の方は熱狂的なリッチ―ファンがたくさんいてついていけなかっただろうしね。(1978年の札幌では辛い事故もあった)東京に来てよかったと思いながらコンサートに行くためにお金を貯めた頃だ。1976年はSleepy John Estes、Doobie Brothers、Eagles、Status Quo、Americaと節操がない感じで見に行った。
今は亡きジェフ・ベック・グループのドラマー、コージー・パウエルがいたが、私が聴きたかったのは、これも今は亡きロニー・ジェイムス・デュオのヴォーカル。前年にロジャー・グローヴァ―(ディープ・パープルのベーシスト)がザ・バタフライ・ボール・アンド・ザ・グラスホッパーズ・フィーストというファンタジーを多彩な音楽家を集めてレコード化した素敵なアルバムがあって、(日本では全く知られていなかった)その中で数曲素晴らしい歌声を聴かせていた。その彼がパープル後のリッチ―が選んだヴォーカリストとなって喜んでしまった。
実を言うとこのコンサートよく覚えていないのです。確かにディープ・パープルが好きでリッチ―もデュオも好きなのだけれど、レインボーのアルバムは買ったもののよく聴いていなかったのが原因。有名なover the rainbow(オズの魔法使い)から始まる大げさな曲調、バンドの象徴になったステージの巨大な虹を思い出すくらい。リッチーがお決まりのギター壊しをしたかしなかったかさえ思い出せない。でも前の年のパープルの不完全燃焼ライブ(天才ギタリスト トミー・ボーリンの不調とその後のヘロインによる死)に対する心の清算とハードロックへの惜別の意味が私なりにあった。
70年代前半、頑として英国ロックしか聴かなかった私が、ディスコに行ったり多様な音楽に関心を持ち始めた1976年の締めくくり。
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