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70's Rockコンサート番外 Sleepy John Estes 1976

 まだ大学紛争の余韻もあちらこちらに残っていた ブルースを聴く事もスタイルのひとつだったか 人に言いたいのではなく自分の心に「こんな部分もある」と思いたかったのかもしれない 私の住む西荻窪には前衛の舞踏家・役者もたくさん住んでいた ちょうど二十歳になる頃はそれなりの思いもあったのかもしれない あまりお金もなかったしね 新宿で理解できないけどフリージャズを聴いたし芝居も観た 田舎者らしく寺山修司に傾倒したが原宿にも行っていたから偽物だけど 原宿の話はまたの機会に
 
 1976年スリーピー・ジョン・エスティスとハーモニカのハミー・ニクソンと来日して全国を回った 彼は1899年生まれだから相当の歳だった(翌年亡くなった)日本青年館満席の客席真ん中やや左側で(当時人気のあった憂歌団とのジョイント公演)静かに聴いた その風景と音は今でも鮮明に覚えている 極貧生活を送っていた人間が歌う本物のブルース ぶつかってくる音の重さに前のめりで聴いた 16人兄弟の一人として生まれ 目に障害がある黒人小作人の子供の人生 独特の声で神様って叫んで

私が買ったアルバムは一枚 The Legend of Sleepy John Estes(邦題「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説」)がオリコン・アルバム・チャートに食い込むヒットを記録した不思議な時代だった 音楽は好きだし何でも聞くが世の評価が高くて買ったレコードを聴いても聴いても好きになれなかったアルバムがいくつかある スリーピー・ジョン・エスティスと交流が深かったこの年1976年ライ・クーダー 「チキン・スキン・ミュージック  Chicken Skin Music」2年後初来日した時に行こうと思ったがチケットが買えなかった どうもアメリカ南部の音は合わないようで ブルースロックでも英国系となってしまう


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