7月(ドリーム夢みごこち)
ともかくお金はいまバイトで稼いでいます54歳。リアルにリアルであります。肉体労働バイトはいいですね。なにしろ頭をつかわなくていい。そもそもがサラリーマンではなくアルバイターで世をわたり、途中で医療職になったもののまたアルバイターになったという経歴をもってして、それでも生きているとしかいいようがありません。生きてればそれなりのなにかいいこともわるいことも両方あるでしょう。両方あってはじめて両輪というものです。お金出入りについて家計簿をつけており、順調にお金は減ってきています。稼ぐ以上に使っているからで、私は自分を楽しませるお金の使い方を知っています。えっへん。誇りに思っています。ギャンブルじゃないし、しかし文化の蓄積でもなく、どうしたものかとは思いますが、気分の赴くままにいろいろ美術館やら映画やら、見聞してまいりまして、旅をしたり、いろいろしているうちに、大きい「楽しみ」として移住したくなったというのが移住の動機の本質であるので、これはこれで実現したいものです。
というわけで移住のことなどを考えています。
楽しみについて、それをどのくらい現実化させられるかを具体的に考えるのは楽しいものです。
一方で、いやなことをどのように避けたり止めたり改善したりできるかを考えるのはなかなか苦しいことですね。
それこそ「老後について」とか、「老人になったときの準備」とか、そんなことを本質的に考えることが楽しくてたまらない人もなかなかいないでしょう。その前に現在、今、ここ、を楽しまなくていったいなんの甲斐があるのでしょうか。いやない。
その今現在が楽しくなったらそれをどのようにつづけていくかとか、また他のことをするにしても楽しさそのものが続くようにしたいとか、そう考えていければ楽しい感じでいけると思います。これは自分に言い聞かせているものです。
具体的な話は「じゃあ楽しいと予想されるその移住とやらは本当に楽しいのか?」であります。それはやってみないとわからないでしょう。やる前から何を言ってるんですか。たいていのことは、おおかたの「これからはじめる事業プロジェクト」は、なにも結果が出ていないからこそ真っ新(まっさら)なわけですよ。それは楽しそうじゃないですかあ?
この世には「新しいことをはじめるのが好き」というタイプがいますが、政府などは「目新しい新制度」ばっかりはじめて、その前にやった「一個前の新制度」の結果を分析したり、自己批判したりを、ちょっともしていない印象です。隠れてやってるのかもしれませんが。税金をつかうのに、そんなことでいいんでしょうか。
いうなれば自分について「自分の新しいプロジェクト」を開始するというのは、いっそ、前のプロジェクトが蹉跌をきたしてしまったから、もうやっていけないから、新しいのをはじめるというだけで、新しいことそのものに価値はそんなにないですよね。
でも同じことをずっとやっていて常に成功が続いているからそのまま進むって、なんか騙されてるような気がしませんか?
なんちゅうか本中華。
日本的「定年まで同じ会社で働いた人が偉い」みたいなのが、ただなにも考えていないだけ、と同じ意味になって幾星霜。だいたい30~40年もひとつの会社が同じ事業をずっとつづけて成功しつづけるのなんてマレも稀でありますし。
あたらしいプロジェクト、新しい場所、その「新しい」こと自体は別に価値がなくても、「新しいとは変化である」ことには価値があって、変化して目新しいつまり新鮮な気持ちとか発想とかある場合には、脳の回路もかわるのではないでしょうか。
もちろん同じことをずっとつづけて技術があがっていって長くやることで求道みたいなこと言って(日本人はすぐにタオとか~道とかいいます)最終的にソードマスターみたいな刀鍛冶とか漆塗とか金属細工とか江戸切子とかそういうテクニックと経験の蓄積がものを言う分野もあるとは思うんですよ。でも高校野球の監督が長くやってるから偉いというのは違うと思いますね。あれはただ権力を長く握っているだけの政治家と同じです。
どうも脱線してしまいますね。基本「新しい」「楽しい」ことを書いてるんですが、どうも「常識」のほうの人は新しいことを楽しいことを忌避する傾向があると思います。なんか「続けていけ」「我慢しろ」っていうのです。もっと楽しいことがあっちにあるのに。
我慢そのものがなにかいいことあるかって、ないです。苦しい経験が結果的に「あれに比べればこれはたいしたことないな」って思うことはあるけれども、そのためにその当時に苦しい経験してたわけじゃない。
未来には「新しくて楽しい」があるに決まっていると思うのです。なぜなら世の中はつねに動いて流動して変化しつづけているから。ますます世の中の世界は変わるし変わり続けるスピードはどんどん速くなっている。
まあですから「やってみないとわからない」ということの真実は「やってみてはじめてそれが楽しいかどうかもわかるしおまけに楽しくなかったとしても楽しくなかったということがわかる」のです。楽しくなくても、無意味ではないというのは、楽しくなかったということはやる前にはわからなかったのに、やったあとには分かるのですよ。すごいと思いませんか。楽しいほうに転んだら楽しいというベネフィットがありますし。
つまり「移住」を具体的に考えるというドリームを考えはじめてしまった以降はもう「考えつく前」には戻れないのです。なんということでしょう。ドリーム妄想は日々の肉体労働バイトを明るくします。肉体労働そのものは別にぜんぜん苦しくもないですが、ときどき雨と湿気に濡れ濡れになるといやんと思いますが、それはそれでよるにフロにはいって上がればさっぱりします。それだけのことです。
でも10年後に「移住しなくて後悔してる」とか言いだすとどよんとしますね。そうならないように思い付きは全部やることにしています。なにしろ「実際に起きたことはすべてよいことであり人生に無駄なことはひとつもない」と言っていました、私の尊敬する人が。いい言葉ですね。今月の分おわり。