見出し画像

23.12.26 並行世界の母

引っ越し準備と片付けがあまりに進まなすぎて、母がわざわざバスで何時間もかけて助けに来てくれた。私が会社に居る間に、合鍵で入って片付けをしてくれる。昼休みに、「すみません、足の踏み場あったかな」と送ると、「息抜きしたかったんよ、楽しくやってるから大丈夫」と言う。

申し訳ないので早々に仕事を切り上げて急いで帰る。母の提案で、家の近くのスーパーで集合してから晩ごはんを食べることになった。久しぶりに見る母は相変わらず明るくて元気でほっとする(父と娘が無愛想なのもあるのか、母はいつもそういうふうに振る舞ってくれる)。串カツ田中のカウンター席に二人で座って、カツの盛り合わせをつつきながら、阪神が勝って本当によかっただとか、スーパーにある産直野菜が良いんだとか、世間話をしながらときどき人生の話になる。

結婚することが決まってから、母の人生の話を聞くようになった。学生時代どうだったんだとか、父のプロポーズのエピソードとか、仕事をやめたあとの苦労だとか。そういう話を聞いていると、ひとりの人間としての母が輪郭を持って浮かび上がってくる。陸上に打ち込んで、仕事をして、結婚をして。そんな具体的な人生を思うと、その重さに愕然とする。

その人生の先で自分を産んで、これだけの時間を使ってくれている。もしかすると、その人生に私はおらず、陸上を続けたり、仕事を続けたりしていたかもしれない。あるかもしれなかった、別の世界線の母を思う。それでもいま、母は、いまだに片付け下手の私の部屋にわざわざ来てくれて、「これは捨てるやつなん?」「先寝とってええんよ」と楽しそうに振る舞ってくれる。

「これは捨てます」「こっちは持って行くやつ」「これは入れときます」と一緒に片付けながら、そのとてつもなさにかなりびっくりする。翌朝もその余韻があって、なんだかもっと寂しくて、母もやっぱり寂しかったらしく、ぎゅっとしてから家を出た。昼休みにこれを書きながら3回くらい涙目になった。今生の別れとかじゃないのになあともはや面白くもなりながら、とんかつ定食をむしゃむしゃと食べる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?