INFP同士の暮らし――同棲一年目、年越し
恋愛って本当に難しい。なぜなら、正解なんてないからだ。
これまでの経験を通じて唯一学んだことがあるとすれば、世の中に完全に合う二人なんて存在しないということ。
時々、無性愛者の友人が羨ましくなる。
恋愛の煩わしさがなければ、それだけで苦しみの大半を免れることになるからだ。そうでなければ、人は誰かを好きになり、そして誰かを失うものだ。
Yとの関係は、最初の盲目的な完璧さを除けば、ほぼ毎日価値観のぶつかりを感じている。
特に、一緒に住み始めてから。
一時期、日本のカップルが同棲後にどう別れるのかをネットで調べたこともあった。そこには、日常の些細な出来事に絡め取られ、問題を解決するより相手を「解決」しようとする悲しい例が数多くあった。
それを見て、前の関係から抜け出す際の自分の未熟さや衝動的な行動を思い出した。
今でも、自分には未熟なところがたくさんある。
例えば、Yと一緒にお節料理を準備することについてもそうだ。
中国では、大晦日の夜は親戚たちと一緒にレストランで食事をするのが普通だ。京都に引っ越してきてからは、旅行中に年越しをするか、元夫のお母さんが予約してくれた三段重を食べるくらいだった。
一方で、Yは言う。彼の実家では毎年12月30日からお節を準備するのが恒例だと。
「数の子は塩抜き半日、出汁に漬けるのが1日」「黒豆は半日浸水させてから3時間煮る」……それが彼にとっての「意味」なのだそうだ。
だから、昨日私が午後2時までずっと横になっていたことで彼が怒った時、私も爆発しそうになった。
私からすれば、それは必ずしも必要な時間ではないし、もっと気軽にお正月を過ごせばいいじゃないか、と思ったからだ。そもそも、お節料理だって絶対に食べるべきものではないと思っている。
それでも結局、彼の主導で「最低限必要」だと彼が考える数品を一緒に作ることになった。
こうしたことは、私たちの日常生活の中で他にもたくさんある。そして、それが積み重なり、少しずつストレスを生む。
これまで、友達にその話をするとき、無意識に批判的な口調になっていた。Yもまた、私たちの生活スタイルの違いによって未来への不安を感じているのだろう。例えば、ここ数日間の喧嘩で彼が口にした「サンはまともに料理一つできないんだ」という一言のように。
私が本当に立ち上がって料理をし始めると、彼は本を持ってキッチンの後ろの階段に座りながらこう続けた。
「普段のサンもこんな感じだよね。俺が料理している時、君はいつも関係ないみたいにそこに座って本を読んでいる。だからこれからは俺もそうするよ。」
私が野菜を切り始めると、彼は急に後ろから飛び出してきて、包丁を握る私の手を掴み、「野菜はこういう角度から切るんだよ」と教えてくれた。
その後、結局包丁を取り上げて、すべての工程を彼がやってしまった。キッチンは、あっという間にまた彼の場所になってしまった。
彼が盛り付けを直したり、ソースを調整したり、柚子の皮で飾りを作ったりする姿を見ながら、ふとよく行くカフェのおじいちゃんの言葉を思い出した。「時間をかけて料理をするのは、サンを愛している証拠だよ。」
彼の妹も言っていた。「お兄ちゃんは口は悪いけど、その行動にはいつも信頼が持てるんだよね。」
今日になっても、私たちはまだ不釣り合いに見える二人だ。
それでも恋愛というものは、もともと全く異なる二つの破片を何とか組み合わせて、新しい風景を作り出そうとする試みに過ぎないのかもしれない。
2025/01/01