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谷川俊太郎と高畑充希の間

instagram:santokage

谷川俊太郎の詩を好きになったのは、もう何年も前のことだ。

写真に写っている一冊は、コロナ禍の前、両親と東京を旅した時に立ち寄ったCOW BOOKSで購入したものだ。
若き日の谷川俊太郎が自費出版した写真詩集。

しかし、今日、2024年11月19日、スマホを開いて最初に目にしたニュースは、高畑充希の結婚報道だった。
彼女に好感を抱いたのは、大学時代の友人が彼女の大ファンで、「サンは高畑充希に似ている」と耳にタコができるほど言われたからだ。日本に移り住んでからも、同じことを言われることが何度かあった。

彼女の結婚は驚きだった。
私の中ではまだ、彼女と坂口健太郎が別れたという古い話のままだったからだ。だが、岡田将生なら悪くない。顔と演技力を兼ね備えた俳優だ。だからこそ、心から彼女の幸せを願った。

昼食の時、何気なくこのニュースをYに話した。すると彼はいつものように冷めた口調で「そういうの、興味ない」と言った。さらに「芸能ニュースなんて、ニュースと呼べない」と付け加えた後、悲しいニュースがある、と続けた。「谷川俊太郎さんが亡くなったんだ」と。

その瞬間、私の頭に浮かんだのは、かつての妻である佐野洋子のことだった。彼女が癌と闘いながら綴った『役に立たない日々』のこと。彼女が亡くなってもう十年以上経つ。それでも、92歳という年齢での死は、谷川俊太郎さんにとって受け入れがたいものではなかったのではないか、とふと思った。

彼が最後の連載で発表した、「感謝」をテーマにした詩を思い出す。

「目が覚める
庭の紅葉が見える
昨日を思い出す
まだ生きてるんだ」

今日という日、高畑充希の結婚と谷川俊太郎の死という、まったく異なる二つのニュースを、誰かに話したいと思ったのは事実だ。

それと同時に、これが私とYの間にある根本的な違いなのだろうと感じた。
たとえば先週末、私たちは大阪で展覧会を見た後、私が中国のSNSで宣伝を依頼されたショッピングモールで撮影をする約束をしていた。だが、撮影の最中、彼は突然不機嫌になり、私の仕事にいちゃもんをつけ始めた。「こんな仕事、恥ずかしい」と言い、過去に言っていた「KOLなんて価値がない」というセリフを繰り返した。

私は言った。「じゃあ私が働かないなら、あなたが養ってくれるの?」
彼は即答した。「なんで僕が?」

好きなことだけを仕事にできる人は、幸運だと思う。
けれど、選択肢がある中で妥協できるのもまた、幸運だ。
うつに振り回されて普通に働けなくなる私にとって、自由度が高い撮影はありがたい仕事だった。それでも私はその瞬間に、彼の見下すような態度を感じずにはいられなかった。その批判が、上から目線ではないと知りつつも、悲しみを覚えた。

彼は言う。
「サンの元気のない姿が嫌いだ」
「傷をなめ合う敗者にはなりたくない」とも言った。

その言葉に、私は心の中で苦笑した。人生において、勝ち負けとは一体何なのだろう?
「がんばれ」と叫び続ける人たちのいわゆる成功の人生など、私には蜃気楼にしか見えない。誰もが弱さを抱えている。それに向き合い、立ち止まることこそが、真の勇気ではないのか?

彼とこの話をすると、たいてい議論は不毛な争いに終わる。昨日、深夜3時に届いた彼からのメッセージのように。


それでも、私はこの人を愛している。
だから、彼の冷え性を思い出し、寒い冬に合う手袋を探して、BALを歩き回る自分がいるのだ。

でも、彼がさっき寝ようとした時、私が階段に置いていたカメラを誤って床に蹴り落としてしまった。悲しい気持ちで急いで二階に駆け上がり、「カメラのレンズが合わなくなった」と彼に伝えたけれど、彼は「ごめん」の一言もなく、そのまま眠ってしまった。

彼は本当に私のことを愛しているのだろうか?
こんな陳腐でつまらない問いだと分かっていながら、こうして日記を書きながら、また不安に駆られて自分に問いかけている。

2024/11/19
サン


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