私と彼、INFP同士の暮らし――国際カップル
時々、日本人の彼と向き合うと、日本社会そのものと対峙しているような感覚に囚われる。
規律、抑制、そしてプレッシャー――彼の穏やかな表情の奥深くに、それらは静かに潜んでいる。
彼は東京の美大を卒業し、奨学金を得てヨーロッパで一年間過ごした経験がある。世界を旅し、多くの文化に触れてきた。それでも、幼い頃から叩き込まれた「しつけ」の影響だろうか、その思考は驚くほど日本的な枠組みに縛られている。彼は常に周囲に気を配ることを欠かさず、食事の際も礼儀を厳しく守るよう求める。どんなに疲れていても、弱さを口にすることは決して許さない。
「疲れたなんて言ったら、それだけで気持ちが負けるんだ。」
彼は幼い頃から「弱音を吐くな」「疲れを口にするな」と教えられてきたという。
ある日の食事中、私はチキンの脚を手で掴んで食べた。それを見た彼は眉をひそめた。
「ただ私たち二人だけなのに、好きな食べ方をしちゃいけない理由って何?」と私は尋ねた。「誰にも迷惑をかけていないのに、どうして周りの目を気にする必要があるの?」
また別の日、レストランで出会った二人の日本人女性と会話する機会があった。彼女たちは伝統的な生き方に縛られることなく、四十代で独身のまま、一人は海辺に住み、猫を飼いながら、ほとんど外に出ることもなく暮らしているという。
その自由な生き方を素敵だと感じた私に対し、帰宅後、彼はこう言った。
「そんなの、まるで定年後の生活じゃないか。俺はまだ二十代だ。そんな風には生きられない。」
彼はいつも「努力しなきゃ」「成長しなきゃ」と口にする。その言葉はいつしか私に重いプレッシャーを与えるようになっていた。そこで私は「どうしても実現したい目標があるの?」と尋ねたが、彼はただ沈黙を返すだけだった。
努力、勤勉、真面目、向上心――それらは確かにアジアの社会で美徳とされている。しかし、同時にそれは、抑圧と苦しみの影を映し出す鏡であるようにも思えるのだ。