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ヨガは万能か~気づきと手離し~

久しぶりにクリシュナムルティさんの『私は何も信じない』を読み出したら、書き出していました。
よく読んでいたのは9年ぐらい前になるでしょうか。
読み始めた頃は、読みにくさを感じた記憶がありますが、今回はまるきり感じずに、ただただムルティさんのお話しに引き込まれるのみでした。
何度も読んだはずなのに、以前拝読したときとは違っているような気がしました。
私が今回書いた『ヨガは万能か~気づきと手離し~』よりも、ムルティさんの書籍を読まれた方が断然よいです(笑)
ただ、ムルティさんのお話しは、多分難しいのではないかと思われます。
こちらが簡単か?と言ったら、ムルティさんよりは難しくないとは思うのですが、どうでしょう…
簡単だからよいわけでもないですしね。
なので、ムルティさんをおすすめします(笑)
よかったら、こちらもお読みいただけたら、嬉しいですけれど。

毎回、小説にしても何にしてもイラストを何にするか、うーんと考えるのですが、今回はなかなか浮かばずに、浮かんだらそれが地球でした。
ご縁があって、人間としてこうして地球に立っている。(寝ているときもある)
理由は無理矢理にあてはめるとそんなところでしょうか。

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はじめに

久しぶりに、J.クリシュナムルティさんの対談集『私は何も信じない』をパラパラとめくった。
多分、ご本人たちはそんな風に言われようが言われまいがそのどちらも望みはしないだろうけれど、『覚者』で頭に浮かぶのは、ムルティさんとダイジさんであり、そのお二方の書籍のどこをめくったとしても、そこには生きた文字(言葉)が相変わらず並んでいる。
特に、いつからか、何も考えないでぱっと開くと、その時その時に関係しているようなことがそこにはあったりして面白い。
このお二方を簡単に説明することはできないし、する必要もないのだけれど、もし乱暴にそれをしようとするならば、
「全ては自分だよ」
ということをずっと言い続けている方々、との私感を持っている。
それが全てであるし、それ以上も以下もなく、それ以外に何をすると言うの?と言ったところではないだろうか。
(ここでの『自分』とは、表現しようがないのでこのように表現している。)
 
ダイジさんは講話録だったかご自身が書かれた書籍だったか…確か講話録だったように記憶しているが、いや、書かれた書籍かもしれない。
そのどちらかの中で、ムルティさんのことを近年の覚者というような表現をされていたはずで、この方が広く理解されたら世の中は変わる、のような意味合いだったように理解している。
それは、絶対にそうだと思う。と思われる方も多数いらっしゃることだろう。
でも、それは簡単ではない。現に、故に今があるのだろう。
比較するのも必要のないことだと思うけれど、ムルティさんとダイジさんの違いは何か?と言えば、ムルティさんはそのための術を何も用意はしなかったし、用意すること自体をも含めて否定し、『気づき続けること、観察し続けること』を言い続けた方で、ダイジさんは、それを理解している上でそれでも何かできることがあるならば、とそれを呈した方と言えるのではないだろうか。
その術として、禅、ヨガが挙げられる。

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