エッセイ ふんどし物語
今回のエッセイは、『エッセイ ちくちく』の中のもの、というよりも独立しているようなものになりました。
こんなに日々『ふんどしパンツ、ふんどしパンツ』と作り続け、言い続けているのだから、ふんどしパンツについて書いてみようと思ったのです。
『ちくちく』でも触れていたりもするかもですが、もっとぎゅうっと凝縮してふんどしパンツについて、な感じで。
でも、書いているうちに、こ、これはヨガ講座なのか?と思えるような内容になってみたり、あっちに飛びこっちに飛びと忙しいものになってしまいました。(いつものことかもしれません)
そして、どうせなので、どのようにふんどしパンツが作られているのか、私が日々作っているものを載せてみました。なので、これで作りたい方は作れると思います。と言いますか、ネットで調べたら、きっと作れると思います。数年前は型紙をどうしたか忘れましたが、多分使っていないと思いますし、現在は当たり前のように使いません。大体の感覚的な数字を調べた後は、自分の感覚で記しをつけて裁断し、縫製します。
さて、今回のエッセイがどのような内容なのかは、【最後に】から抜粋して記載してみたいと思います。
お読みいただけたら幸いです。
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【最後に】
いつも、私のエッセイは、いやエッセイに限らず書き物は、何かあるひとつのテーマが浮かんだ時点でだだだーっと文字の放出が始まる。
今回もまた、『ふんどし物語』としてその放出がスタートしたわけだけれど、相変わらずいろんな方向に飛び回る(飛び散る?)羽目になった。
きっと、お読みくださった皆さまがそれに付き合い、飛び疲れたのではないだろうか。
いつも思うのだけど、何も考えずに、進むまま、降りてくるままに書いていると、そこには結構なメッセージがあることに気づく。
そうそう、それ大切なことだよね、と思えるような。
ふんどしパンツ物語なのだから、ふんどしのことだけを書いていればよいものの、この中の内容はそれ以外の方が多いのではないだろうか。
でも、結局大切なことは、何故『ふんどしパンツ』なのか、ということであり、この中にも書かかれているとおり、面倒くさいことが気づきには必要だったりすること。そこから様々なことは波及していったりすること、これではないかと思う。
勿論、表面的なことでもあるし、穿くメリットとしては、『身体によい』ものであるのは事実であり、だからこそ穿こうかな、と思い始めるものなのだと思う。でも、それに留まらない何かもあるということだ。
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【何故、ふんどしパンツなのか】
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