言語の壁
カンボジアに行った時の話。
大学生活、最後に行った海外がカンボジアだった。
カンボジア。
昔、YouTubeで池上彰の世界史の動画を見たときに、
ポルポトという毛沢東リスペクトのやべー共産主義者が、
中国で大失敗していた「大躍進政策」をより強化した政策を実施した結果、
カンボジアの人口が大激減した上、共産主義のお家芸ともいえる
粛清が始まり、カンボジアの土地は退廃した
これくらいの薄い知識しかなかったけれど、
実際にトゥールスレン収容所(通称、S21)やキリングフィールドに行き、ポルポト一派(クメールルージュ)が行った、残忍な虐殺を目の当たりにしたとき、
ずっと自分のみぞおちを殴られているような感覚
に襲われた。
とまぁ、カンボジアでの歴史のお勉強のお話は別の記事でするとして。
カンボジアの小学校
カンボジアの公用語は、クメール語。
皆目わからない。
だから、カンボジアの小学校に行ったときは、お互いに何を言っているのかわからない。
だけど・・・?
精神年齢が実年齢と見合っていない僕と自立しているカンボジアの子供たちとは相性が良かった・・・。
かけっこもしていれば、ようわからんけど、なかよくなるものである。
しかし、その中でひと際、カマッテ君がいた。それが、トップの男の子。
鬼ごっこをしても後先を考えずに走るだけ走ってこけて泣いていた少年時代の僕に比べて、
僕が手加減をして追いかければ、すぐに感ずくし、ほかの男の子と遊んでいたら、うまいぐわいに僕もカマッテーと寄ってくる。
小学校の作業に従事していたら、それを邪魔することなく、ほかの子と遊ぶ。
つまり、ぼくはそのカマッテ君のことを気に入ったし、そのカマッテ君も僕のことを気に入ってくれたらしい。
そして、別れの日、車に乗り込むときにカマッテ君は僕の左腕に
黒色の何か
を書いた後に、自分を指さし、ぼくを指さした。
その時にハッとなり、涙が出た。
カマッテ君は言葉が通じない、よくわからない外国人の左腕にハートを書き、
お前のことが好きだよ。
と伝えてくれたのだった。
名も住所も年齢もわからないカマッテ君。
あの子と過ごした短い時間は決して忘れないし、あの子のいたずらっぽく笑う笑顔もクールな顔も忘れないだろう。
お互い、会えるその時まで元気でいよな・・・。
車を自転車で追いかけてくるカマッテ君を背にそう呟いた。