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手掌多汗症のはじまり

どうも、さんちゃごです。

手掌多汗症の問題点は、特に思春期の時に、恥ずかしい、汚いと思われたら?
と感じて隠してしまう事です。

また、正しい情報が無いので病気との認識が無かったり、どこへ受診して良いか分からないのです。

実は

手掌多汗症は、皮膚科なんです!!

なんで皮膚科??って、、

僕もそう思うんですが皮膚科なんです。
神経や内分泌では無いのですよ、、、

今回は、手掌多汗になった時の始まりについて話していきます。


異変が起きた

小学校3年生まではあまり意識していないので、普段はあまり手汗が無かったと思います。たぶん、、

昭和の子なので、夏はサンダルや裸足で野山を駆け回り遊んでいました。
少し足がベタつくと言う記憶があるぐらいです。

今思い出すと、夏の花火大会に下駄を履いて行ったのですが、
足汗でツルツル滑って歩きにくく、大変な思いをしたのを覚えてます。
あのころが始まりだったのですね。

小学校生活の支障が出始めた

鉄棒や棒登りが苦手だったのは手汗が原因でした。  
フォークダンスも苦手で他人に触れる事自体が苦痛でした。

工作はまだマシでしたが、家庭科の裁縫は針を上手く持てず
ツルツルとすべってしまい挙句に針が錆てきました。
クラブ活動の吹奏楽も、トランペットに青錆が発生してしまいました。

授業中には右手の下にはいつもハンカチを添えていて、それでも下の紙が湿気でシワになってしまいます。
いつも湿気たハンカチをポッケトに入れていました。
つらい思い出です。

高い場所では緊張して手汗が止まらなくなり、今ではTVのバンジージャンプとかを見ても手汗がでます。
まるでパブロフの犬ですね(泣)

本来僕は、手先が器用な方で息を殺してミリ単位の彫刻作業とかが好きでした。
釣りが好きなので自作ルアーの削り出しとかもやっていましたが
手汗で上手く出来なくなりました。

それでも軍手を使って分厚い布越しの感覚で削ったのを覚えています。
でも接着をするときに上手く行かず、段々と物を作るのを辞めてしまいました。

書道教室にも行ってましたが、夏になると手汗、足汗が酷くなり小4で勝手に辞めてしまいました。

親には『嫌になったから辞める!』と一方的に宣言し、、嫌では無かったんですがね、、

ただ涼しい時期が来れば治まり、初期だったのでひどくなかったのか
あまり覚えていません。
小学校5年生ぐらいからは、手汗で嫌だった事を明確に覚えています。

なぜ急に多汗症になったのか?

不明なのです。
そして、今も解明されていません。

そして僕は当時、こんな症状は一人だけかもしれないと思い詰めました。

症状を隠し、どうしていいか分からず悩み苦しむことになりました。

もし情報があり、多汗症対策ツールがあり、抑える薬や、体調を整える意識や機会があれば、違った生活になっていたかもしれません。

経済的損失が莫大なら
チャンスも!

多汗症は潜在的に10人に1人が罹患してるそうです。
程度は様々でしょうが、社会的、
経済的な損失は莫大と試算されています。
☆日本経済新聞の記事が開きます。

脇汗だけでこの損失
多汗症は様々です。
逆に解消するツールや仕組みなどは、まだまだこれからです。
ブルーオーシャンの分野で、様々な
事が出来る分野でしょう。

最後に僕の想いです。

1人で取り残され、悩み苦しんでいる子どもが今でも沢山います。
もちろん大人も

過去の僕の様に辛く孤立してる子が
、元気になり未来志向で将来を描ける様に‼️
との想いで、発信を続けます。

なんとかなります!
楽しく生きられるから
ネバギバ‼️

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

さんちゃご

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