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東禅寺(千葉県多古町)
東禅寺(千葉県多古町)は歴史の中に数々の名を遺す名刹のようだ。「多古町ぶらり散歩」によると、かつて存在した梵鐘には奈良時代に鑑真創建とあったという。金沢文庫の文書からは鎌倉時代に称名寺との関係や南北朝期の千葉氏と千田氏の争い。そして千葉氏嫡流終焉の地。境内に建つ本堂は平成に建立。
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多古町史によると、鎌倉時代には金沢称名寺と関わりを持ち、「大栄町の慈恩寺とともに、奈良仏教復興派の東国における重要な拠点道場」と表されるくらい繁栄していたらしい。しかし北条氏滅亡で称名寺が衰退するとともに東禅寺も衰退。
大網白里町史によると南北朝動乱が東禅寺にも影響。周辺では、千葉胤宗の子貞胤(南朝方)と千葉宗胤の子(千田)胤貞(北朝方)が対立。胤貞が上洛した隙をついて、貞胤が東禅寺に隣接する土橋城を落としたという。登場人物がなんとも複雑。土橋城の戦い後、約百年以上経て千葉氏嫡流の滅亡。貞胤の5代後の胤直を攻め、東禅寺で自刃に追い込んだのも同族の馬加康胤。大網白里町史は「両総地方における惣領制武士団の崩壊点でもあった」と結ぶ。
東禅寺の地形を眺めてみると、低地からの比高が30mある台地の谷頭を削平して建てられているように見える。
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東禅寺の本堂の大きさの割には、とても広い平坦面が台地より一段低い高さに確かにあった。栄えていた時代の広大な境内か。
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本堂のある平坦面から一段上がった台地上には天満神社。
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千葉胤直の墓は平坦地の奥の台地の上にあった。
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東禅寺(千葉県多古町)にある千葉胤直の墓。最近の墓も立ち並ぶ墓地の奥にある古い五輪塔がそれらしい。
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