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本佐倉城(千葉県酒々井町・佐倉市)


歴史と立地

本佐倉城は印旛沼の南岸に立地する千葉氏が拠った城。千葉氏の拠点は千葉だったが、享徳の乱の時期に起こった内紛により、宗家が破れる。その後、庶流の岩橋千葉氏が継ぎ、千葉孝胤の代の頃の1484年に本佐倉城が築城され本拠地となる。戦国時代後半には小田原北条氏との関係が強まり、1585年に大改修が行われる。小田原北条氏滅亡後は徳川氏の家臣が入城するが、土井勝利により佐倉城が築城され本佐倉城は廃城となる。

主郭部

撮影地点(主郭部)

東山馬場

東山馬場には国史跡本佐倉城跡案内所があり、展示施設・トイレ・駐車場もあるので出発点としてちょうどよい。


東山馬場の緩い傾斜の谷底を登ると城跡の碑と案内地図板。


地点AからIV郭を眺める。本佐倉城サイトによると、IV郭は虎口と主要郭をつなぐ位置にある大型の内升郭と考えるらしい。

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地点Aから、東山馬場から立ち上がる城山(主郭)の斜面を眺める。

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地点Bから眺めるIV郭。千葉氏の家紋の入った盾が並ぶ。

東山

IV郭を横切ってたどり着いた地点C。東山への登り口。東山は地山と想像されるが、巨大な土塁のように北の防御を固めている。

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東山への登りの途中の地点Dから東山馬場を見下ろす。


東山の登り口を上がると地点E。地点Eからは北方向の印旛沼のパノラマ展望が広がる。中世の東山も見通し良く整えられ、北方向の監視をしていたのではないだろうか?


地点Eのすぐ西にある東山虎口の遺構を見下ろす。

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地点Eから東山の尾根を東に進むと地点F。左手に土塁が連なる道を行く。

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地点Gにはやや広くなった平坦面。

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東山の尾根は地点Hではかなり細くなる。尾根から北側を見下ろす。

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東山の尾根の東端の地点I。本佐倉城の北東から南へと入り込む大きな谷津の入り口を睨む場所。


東山の北側には空堀のような地形。地点Kに降りてみる。

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地点Lから東山の北麓の平坦面を眺める。


地点Nは東山帯曲輪。地点Eとの間の斜面に電車からも見える本佐倉城の看板が設けられている。

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東光寺ビョウ

IV郭と東光寺ビョウの間に設けられた虎口(地点Q)。

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IV郭と東光寺ビョウの間に設けられた虎口(地点Q)を地点Wから振り返る。

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地点Rから東光寺ビョウを眺める。

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地点Tから東光寺ビョウを眺める。

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IV郭

地点XからIV郭の虎口があったとされる位置を眺める。虎口には門があったと推定されている。

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地点YからIV郭を眺める。緩やかな傾斜がある郭。

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城山

地点Zから城山へ入る。

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地点A1の大堀切には木戸が存在したという。

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地点A1で大堀切の急傾斜を感じる。

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地点B1から、城山(左)と奥ノ山(右)への分岐路を眺める。

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地点C1から城山への登城路を眺める。

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地点D1から城山の郭の虎口を眺める。左折れの坂虎口だという。ここでも門跡が発掘。

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地点E1には、右に行くと城山の主殿への門、左に行くと大堀切を越える木橋に通じる分岐。

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地点H1から、城山と奥ノ山の間の大堀切を見下ろす。ここには木橋がかかっていたと推定。

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地点I1からIV郭を見下ろす。


地点J1から、城山の郭と北西の土塁を眺める。

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地点L1から、城山の郭の北東斜面を感じる。

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地点M1から東山馬場を見下ろす。斜面の樹木が伐採されているので城山からの展望が良い。


地点N1から城山の郭を眺める。この郭からは多くの建物や枯山水と推定されている庭園の跡が発掘。


地点U5から、城山の東斜面から北斜面を取り巻く腰郭に入る。

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地点V5から、城山の東斜面の腰郭を眺める。

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地点W5から、城山の北東斜面の腰郭を眺める。

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奥ノ山

地点C1から奥ノ山に入る。

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奥ノ山に登る道を地点P1で眺める。

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地点Q1から眺める奥ノ山の郭。

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地点R1からIV郭を見下ろす。


地点S1の土壇の上に載り、奥ノ山の郭を眺める。

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地点S1の土壇の上に載り、倉跡の郭を見下ろす。

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倉跡

地点T1から緩く傾斜する倉跡の郭を眺める。本佐倉城サイトによると、炭化米が発見されただけでなく、人の生活が感じられる陶磁器や鍛冶道具も出土したようだ。

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倉跡の郭の端の地点U1から、セッテイ山との間の空堀をのぞき込む。

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地点W1には諏訪神社が鎮座。


地点Y1から、南側の谷津に降りる道。

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南側の谷津に降りる道を地点Z1から眺める。

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妙見神社

地点B2には妙見神社。本佐倉城跡散策マップによると、かつて奥ノ山の郭に鎮座していた妙見宮が遷座したものとされる。

妙見神社前から谷津を眺める。かつては中池と呼ばれる池と中島があり、弁天様が祀られていたと本佐倉城跡散策マップ

セッテイ山

妙見神社から、南側の谷津をぐるっと回り、セッテイ山の郭にとりつく、北西側を目指す。地点M3には水の手。城の水源になっていたと本佐倉城跡散策マップ


地点N3はセッテイ山の郭の西から南をとりまくセッテイ空堀の入り口。


地点P3でセッテイ空堀を眺める。本佐倉城跡散策マップによると、セッテイ山は人質曲輪や接待館郭とも推定されていて、大規模な空堀により厳重に守られている。

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セッテイ空堀の奥へ進み、地点E5の堀底。

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地点Q3にはセッテイ山の郭の虎口跡。

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地点S3からセッテイ空堀をのぞき込む。

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地点T3で右に行くとセッテイ山の郭だが、この日は立ち入り禁止。


地点U3からセッテイ山の郭を眺める。

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地点V3から、セッテイ山と倉跡の郭の間の空堀を眺める。

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地点R5から、セッテイ山と倉跡の郭の間の空堀を眺める。

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地点S5から、セッテイ山と倉跡の郭の間の空堀を眺める。見通しのきかない曲がりくねる空堀。

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外郭部

今後作成予定。

周辺部

今後作成予定。


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