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志摩城とかくれ不受不施派の集落(千葉県多古町)
志摩城
多古城の解説板によると、千葉氏嫡流の千葉胤直は1455年、叔父の馬加康胤と重臣の原胤房に攻められる。子の胤宣、弟の胤賢とともに千葉から多古に逃れ、多古城と志摩城に籠る。しかし馬加・原勢の攻撃で次々自刃。胤直は東禅寺まで落ちのびるも包囲され自刃。千葉氏嫡流はこの地で滅亡。
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道の駅 多古から眺める志摩城。
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志摩城のある島は水田広がる低地に囲まれる島のような地形。
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志摩城のある島をカシミールスーパー地形で味わう。志摩城がある東側は低地からの比高が15m程度、集落がある西側は比高が4m程度。東側は一見、段丘面だが、周辺の段丘面よりも15mほど低い。人為的な削平がされているだろうか。
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志摩城のある台地の上には八幡大神。その参道階段の下には駐車場があって便利。駐車場の脇には志摩城の解説板が建つ。
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志摩城のある台地の上に鎮座する八幡大神。由緒は不明。
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八幡大神の参道下の解説板によると、志摩城の台地では発掘調査が行われ、弥生時代の遺跡が出土したほか、中世の遺構としては、14-15世紀の建物跡や堀なども発見されたらしい。解説板によると、千葉氏嫡流滅亡の戦いでこの地に籠ったのは当主・千葉胤直と弟の胤賢。敵に包囲され、胤直は東禅寺まで落ちのびるも、そこで自刃。多古町史にはこの出来事を物語にした「鎌倉大草紙」「千葉伝考記」の一部が記されている。
八幡大神の社殿の横には志摩城であることを示す標柱が建つ。台地上は畑。
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かくれ不受不施派の集落
志摩城がある島。他にも中世を感じる史跡が無いかと地図を眺める。集落内に正覚寺を見つけたので訪ねてみた。
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島にある正覚寺。解説板によると、数少ない日蓮宗不受不施派の寺院。豊臣秀吉の時代から権力者と対立し、江戸時代に入って禁制となり、明治になって禁が解けるまで寺を持つことができなかった宗派。
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江戸時代に禁制となって以降は厳しい弾圧を受けた。表向き改宗した信者が多かったが密かに信仰は受け継がれ、地下活動も行われていたという。禁が解けた後には集落にあった寺院を買い取って宗派を再興。
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日蓮宗不受不施派の信者は、禁教の時代、弾圧から逃れるための隠し部屋を住居内につくらったという。また取締りから逃れるために迷路のような街路を集落内に設けた。その街路は現存するという。中世集落の防御構造のようだ。
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現存するという迷路のような街路をたどる。確かにGPSなしには歩けない。
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現存するという迷路のような街路は地図上でも実感。
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明治時代に日蓮宗不受不施派の寺院へと変わる前の正覚寺は、不受不施派の反対の受派に属する妙光寺という寺院。多古町史によると、開基は中世に遡れそうだ。志摩城落城の頃に書かれた文書や、その100年近くの後の文書として、城を落とした原氏の子孫となる原胤貞の安堵状も残るらしい。