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蕨城(埼玉県蕨市)

「埼玉の城」では蕨城の築城時期に関して14世紀中頃の説があったが、その後、市史の調査により15世紀中頃に渋川義鏡が築城という説が出たことを述べている。日本歴史地名体系によると、室町幕府の命により渋川義鏡はこの地に派遣。足利政知が堀越公方として東国に来た頃の出来事のようだ。1524年(推定)には北条氏綱の攻撃後、上杉朝興が奪還した戦国期の歴史が文書に残っているようだ。

蕨城は旧・入間川(現・荒川)がつくった自然堤防の微高地に立地。付近の微高地にはその後、中山道が通い、蕨宿が発展。 

カシミールスーパー地形で標高の分解能を上げると、蕨城が旧・入間川(現・荒川)の氾濫平野から高い場所に立地していることが実感できるが、その比高は数mといったところ。

蕨城址は現在、和樂備神社の境内になっている。創建には蕨城の築城者とされる渋川氏が関わっていると由緒にある。

和樂備神社の境内の南側には御殿堀。江戸時代初期に鷹狩りの際の休憩地として城址が利用された際、御殿と呼ばれ、残存していた蕨城の堀は御殿堀と呼ばれたとある。

御殿堀横の土塁を立体視。

御殿堀横の土塁の上には城址の碑と解説板。

御殿堀横の土塁は東の端でかなり大きくなる。その脇を御殿堀と繋がる水路が流れている。ネットの情報によると土塁の一部は復元とあるが、これはいかがだろうか?

御殿堀横の土塁は東の端で大きくなった後、南に折れる。

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