見出し画像

北新田の歴史と田中調節池としての役割(千葉県我孫子市)


歴史

千葉県我孫子市の北新田は、かつては古鬼怒湾、香取の海という内海。その後、藺沼の時代を経て、江戸時代の利根川東遷後は利根川の後背湿地に。戦後に水田開発。

今昔マップ・明治迅速測図と治水地形分類図で眺める千葉県我孫子市の北新田。明治時代は本願寺沼という湿地帯が広がり、その周囲は草や茅の採取に利用されていた感じ。

カシミールスーパー地形で味わう北新田。周りよりも低い領域があり、本願寺沼の名残か。

大利根橋南詰近辺から北新田の向こうの字本願寺の台地に沈む夕日。「我孫子の地名と歴史」によると、夕日が沈む台地の上に本願寺があったという伝承あり。伝承から、その北東にあった沼地が本願寺沼になったのだろう。

田中調節池としての役割

北新田は、利根川増水を緩和する田中調節池としての役割を現代では持つ。茨城県・千葉県境の田中調節池・稲戸井調節池・菅生調節池に関して、情報がわかりそうな文献を発見。

利根川河道沿い三調節池群の洪水調節量の算定 https://jstage.jst.go.jp/article/jscejhe/69/4/69_133/_article/-char/ja/…

カシミールスーパー地形で眺める茨城県・千葉県境の三調節池。上記の文献によると、田中調節池6068万m3・稲戸井調節池2690万m3・菅生調節池1908万m3の容量。合計すると10666万m3。リンクの国交省速報によれば、今回、これらが9000万m3の利根川の水を貯留とのこと。

増水時に利根川の水が越えてくる田中調節池の越流堤と監視カメラ。

利根川が増水すると、越流堤から水が流れ込むため、農業用の変電設備も高い位置にある。

2019年10月の越流

令和元年東日本台風は関東地方にも大水害をもたらした。利根川も危険な水位に達したが、北新田は田中調節池としての機能を発揮し、利根川増水の緩和に貢献。

田中調節池への越流の開始。

越流が始まり、数時間たち、調節池内に結構水が入った。調節池内の道は通行止め。07:50と08:50の比較。

07:50
08:50

田中調節池を貫く農道は、やがて完全水没。16:10。

調節池のほぼ全面に水が行きわたった様子。台風一過で見通しも良く、大雨が降った赤城山や日光男体山も眺望。

利根川増水を緩和すべく発動中の田中調節池の夕焼けパノラマ。日光男体山・赤城山・榛名山に加え、浅間山の頭も少し、眺望。

田中調節池に残ってしまった水は自然の力で戻すのは大変。ということで、田中調節池から利根川への排水で活躍する施設は大利根橋のそばにある青山排水機場及び利根排水機場。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?