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山田沼跡(茨城県つくば市)

「伊奈のあゆみ」によると江戸時代初期に伊奈忠治指揮の基、現在の福岡堰の上流にあった山田沼の位置に山田沼堰が建造。小貝川の流れの調節が目的だったらしい。18世紀に山田沼堰が廃止され、より下流に福岡堰が建造。山田沼はその後干拓されたようだが明治迅速測図には沼が残る。福岡堰の上流にあった山田沼が気になって、それらしき低地を眺めに来てみた。

福岡堰の上流にあった山田沼が存在したらしい低地に下り立つ。日本歴史地名大系によると、1722年からの工事により山田沼は干拓され水田に。明治迅速測図に描かれるのは別な沼か?1818年には八丈島からの移住者が入り開拓が進んだそうだ。その移住は何がきっかけだったのだろうか?青ヶ島1785年噴火と、青ヶ島住民の八丈島への避難との関係が気になる。青ヶ島還住が1824年。

山田沼という地名は残っていないようだが、代わりに鍋沼という地名があった。鍋沼排水機場。

山田沼が存在したらしい低地の水を排水する鍋沼排水機場。排水は小貝川へ。

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