弓田城(茨城県坂東市)
歴史と立地
弓田城は飯沼の巨大な谷津から分岐した小さな谷津に突き出した舌状台地に立地。日本歴史地名体系にも詳しい記述。戦国期には北条配下の染谷氏が拠る。多賀谷氏に攻められ、後に降伏。その後、子孫は取手に移り、土着して取手宿の名主・本陣を務める。 明治迅速測図を眺めた時に城跡表記。しかもケバで空堀まで表現されているのを見つけ心動く。
弓田城をカシミールスーパー地形で味わうと、城域はゴルフ場になっているものの、空堀がそのまま残っているかのような地形をしている。
弓田城の空撮を眺めてみると空堀の位置がへこんでいるようにも見える。12番ホールは空堀を横切っているか。
坂東GC
http://bando.golf/layout.htm
弓田城の空堀。今昔マップではゴルフ場ができる前の1960年代の空撮画像を見ることができる。空堀は結構、重厚だ。多賀谷氏からの脅威が染谷氏にこれを造らせたのだろうか。
城域を巡る
台地の上の城域は現在はゴルフ場になっており入れそうにないので、谷津から近づけるところまで行くことにした。
弓田城の空堀を北側の谷津から眺めてみようと舌状台地に接近。藪がひどく、画像ではとても表現できないが、確かに台地がえぐれて、向こう側が明るく見えているようにも感じた。