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寺畑(茨城県つくばみらい市):江戸時代の鬼怒川付け替えの地

「鬼怒川 小貝川 : 自然文化歴史」の「河道の付け替えと分離」を読む。寺畑(茨城県つくばみらい市)は江戸時代前まで小貝川と鬼怒川の合流地点だった。江戸時代に入り、鬼怒川が南へ付け替えられ、鬼怒川から分離された小貝川の氾濫原は谷原三万石と呼ばれる広大な水田地帯へと変わった。旧河道が治水地形分類図に残る。明治迅速測図では旧河道は沼地。鬼怒川の急流を締め切るための築堤は難工事となり、二人の人柱が建てられたと伝わるそうだ。鬼怒川の旧河道を味わいに寺畑を訪ねた。

明治迅速測図にも描かれる鬼怒川の堤防をA地点から眺めてみる。江戸時代初期、寺畑に流れていた鬼怒川を締め切った堤防もこのあたりだったろうか?

鬼怒川の堤防上のB地点から、国道294号線の向こうに、寺畑集落へと入る道の入り口を眺める。集落への道は明治迅速測図にも描かれ、治水地形分類図上の旧河道のすぐ北を通っている。

堤防上のB地点から、鬼怒川方向を眺める。植物が茂っていて川面は見えず。

小貝川にかかる伊奈橋(地点C)から寺畑を眺めてみる。旧河道上の湿地帯は埋め立ても進んでいるが、この一角には貯水池があり、湿地らしさを残す。貯水池からは四ヶ字排水樋管を通じ、小貝川へと水が抜けるようだ。

伊奈橋

小貝川にかかる伊奈橋からの眺め。北に筑波山。

伊奈橋から南に見える小貝川は、江戸時代より前には寺畑で小貝川を合わせた鬼怒川の流れだったのだろう。

国道294号線が関東鉄道常総線をまたぐ跨線橋から寺畑の全景をパノラマ撮影。

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