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土橋城(千葉県多古町)

千葉氏嫡流が滅亡する百年以上の同族争いの地となった土橋城(千葉県多古町)を訪ねてみる。といっても日も落ちそうなので、物見台とされている天御中主命神社へ。

大網白里町史によると、南北朝動乱の際、千葉胤宗の子貞胤(南朝方)と千葉宗胤の子(千田)胤貞(北朝方)が対立。胤貞が上洛した隙をついて、貞胤が土橋城を落としたという。登場人物がなんとも複雑。土橋城の戦い後、約百年以上経て、隣接する東禅寺で千葉氏嫡流の滅亡。

土橋城の物見台とされている天御中主命神社は低地からの比高が30mくらいある台地上に鎮座。神社の西には段々の地形があり、東禅寺あたりと似ている。中世に遡る人為地形だろうか。

天御中主命神社の参道階段を登る。普段なじみのある下総台地北西部に比べると比高が大きく、参道階段もスリリング。

土橋城の物見台とされている地にある天御中主命神社。染井の三輪大神でも感じたが、主殿の前に舞台のような拝殿を設けた構造は興味深い。多古地域の文化だろうか。


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