山河氏館(茨城県結城市)
歴史と立地
結城氏初代朝光の四男の重光が山河氏を名乗って拠った山河氏館(茨城県結城市)。方形居館跡とされ、現在は東持寺となっている。山河氏は鎌倉時代から結城の南半分を治める。戦国時代にはさらに南に築いた山川綾戸城へと移ったと解説板。日本歴史地名体系によると、山川朝貞の外護によって1503年に東持寺は開創と伝わる。
カシミールスーパー地形で眺めると、堀と土塁で形作られている見事な方形が浮かび上がる。
鬼怒川右岸の台地上にあるが、台地の比高はさほど高くはなく10m弱。
城域を巡る
南側の土塁と堀を立体視。
西側の土塁と堀を立体視。
北側の土塁を内側から立体視。
南側の土塁を内側から立体視。
東持寺にかつてあった山河氏館。境内にあるお堂の中には正和六年(1317年)の板碑が祀られている。
南側の門の前の直線道路は流鏑馬などを行った馬場の名残とされ、現在も馬場という地名が残る。