【リアル出産レポ】「母子ともに○○です」|立ち合いなしの初産体験
▷はじめに
2022年7月末、コロナ禍で立ち会いも入院期間中の面会もできない中、第一子を出産。退院後、初めに旦那に発した言葉は『次は○○クリニックで産むわ。』でした。
※○○クリニックは私の住んでいる地域では数すくない無痛分娩対応の産院のこと
不妊治療の末授かった我が子で、第二子の予定もないのにこんな言葉が飛び出したのは、もう永遠にこんな痛みを経験したくないという思いからでした。
しかし、会陰の傷、痔、乳の痛み、腰痛、痔、腱鞘炎、口内炎、痔、虫歯と次々にやってくる複数同時進行の痛みと寝不足の日々を過ごす中、そんな決意も徐々に薄れてきてしまっています。もし数年後、奇跡的に赤ちゃんを授かったとして『家から近い病院(無痛分娩非対応)でいいか。』となりそうな気がしてなりません。
そしてまた分娩台の上で、自然分娩を選択した自分を恨むことになるのです。そのような未来を迎えない為、あの辛い8時間のことを忘れないために記しておきたいと思います。
分娩当日、ぶっ飛びそうな意識のなか、なんとかスマホにメモしていた記録をまとめたら1万時越えの大作になってしまいました。
完全自己満記録ですが、万が一これが誰かのためになったら幸いです。
▷生まれる日
7月30日土曜日 実家で焼肉
予定日からすでに2日遅れいていた。
前日の7月30日は昔買っていた犬(50キロ越えの巨漢ラブラドール)の命日だった。
なんとなくその日に生まれるんじゃないか、そしたらとちょっとロマンチックじゃない?なんて想像とは裏腹に、また予定日を超過。まぁ赤ちゃんのタイミングを待つかということにして、その日は土曜日ということもあり実家にお昼ごはんを食べに行った。
つわりが収まった後も、常に胃が圧迫されている感じがあった。普段の6割くらいしか食べられず、無理して食べるとリバースをする日々。
しかし、臨月の後半にもなると、赤ちゃんのセットポジションが下へ下へ移っているからか、少しずつ食べられる量も回復してきた。
その日もお昼ごはんに焼肉(わたしの希望によりせせり縛り)と焼きそばを食べた後、母がスーパーで買ってきたコストコに売っているようなアメリカンなデカさティラミスをもりもり食べていた。ちなみに焼肉を食べると陣痛が来るとかゆうジンクスがあるよね。あと、オロナミンC。
夕方になりそろそろ家に帰る時間。昼ごはんの残りの焼きそばと、残り半分くらいになったティラミス(といってもまだ4人分くらいはある)をいただいて帰宅した。
このところ夜中の前駆陣痛が激しく、なんとなく夜に生まれる予感はしていた。いつ何時始まるかわからない陣痛に備え、お風呂は早めに入るようにしており、この日も帰宅後すぐにシャワーを浴び、18 時半に夕食を終えていた。
▷陣痛始まる
19時00分 陣痛がはじまる
夕食時からなんとなく生理痛のようなお腹の張りがいつもより強いなという気がしていた。普段通り陣痛カウンターで記録をしていると、19時に張りの間隔が10分をきるようになってきた。
20時30分 おりもの
お腹の張りは順調に約10分間隔。痛みはまだシクシクとする感じ。ここでトイレに行くとおしるしが到来。はじめに鮮血のような出血があり、次にトイレに行ったときは茶色っぽくなっていた。
21時45分 まだ、病院には行けない
痛みの間隔は7分間ごとに短くなってきた。徐々に『ゔっ』と低い声がでるくらいの痛みになってくる。病院で購入した出産の手引きには《10分間隔になれば電話》とあるので、架電。しかし『今来てもらっても一人で陣痛に耐えてもらわないといけないから、まだ来なくていいですよ』と言われ自宅待機。
23時00分 腹ごしらえ
張りの感覚が7分から6分、5分と徐々に短く、痛みも強くなってくる。気分を紛らわすために、TVを見る。最近はいつも21時ごろには就寝し早寝早起きを心掛けていたため、久しぶりに深夜(?)番組をみることに。小学生の時の大晦日気分を味わいつつアメトーーークを観ていた。ただ、張りのピーク時はテレビを見る余裕なんかなくひたすら痛みが去るのをじっと堪えていた。痛みが治まったタイミングで体力をつけるため、ティラミスを食べ、『出産前に食べたものはティラミスかぁ』なんて言いながら記念写真を撮ったりなんかしていた。
23時30分 痛み逃しダンス
間隔が5分になり、張りが来ている間は立っていられないほどになる。動いていたほうが楽にだったので、旦那と共に家の中を歩き周り、踊る。当日開催されていたFUJIROCKの配信を見るもめぼしいものがなく、YoutubeでUKのフェス動画を漁り見る。そして、踊る。
24時00分 おしるし再び
またしても鮮血のおしるしが来る。突き上がる痛みで立ってられなくなる。リビングに布団を敷き旦那に腰をさすってもらう。痛みが治まるタイミングで寝ようとするも次にくる痛みが怖くて全く気が休まらない。
7月31日 日曜日 1時00分
病院へ出発
トイレにいくと割との大量の出血がある。病院に状況を説明すると『では、来てください』とのことで出発。自宅から病院までは、急げば車で15分程度だが、深夜搬送の貨物列車のせいでかなり長い間踏切で待たされる。(この時間すごく長く感じた。)普段赤になることがない信号機がなぜか赤に。心の底からなんでやねん。
▷病院到着
1時15分 助産師Kとの出会い
病院到着。病棟は3階のためエレベーターに乗る必要があるが場所がわからずうろうろ。途中2回陣痛が来て、病院の廊下に倒れこみ悶絶。病棟に到着し、旦那とはお別れ。陣痛室に通され内診。すでに子宮口が4~5センチ開いていると告げられる。
陣痛室には私の後にもう1名妊婦さんがいらっしゃった。意識が朦朧としていたが、スーツケースを開けたりかなり余裕なご様子。
ベットの上で2~3分間隔で来る陣痛に悶えていると、この分娩のキーパーソンとなる助産師Kがやって来た。第一印象は『ちょっと厳しめのベテラン』という感じ。バースプランの提出と問診票の記載をするように言われたが、陣痛が痛すぎてペンも取れない状況。なんとか書くもヘロヘロのミミズ文字。てゆうか、問診票書ける余裕ある人いるの?
1時40分 聞いてたのと違う
母親教室で書くように指導があったバースプラン。『アロマを焚いたり、好きな音楽を流せます』といわれていた為、アロマ持参、スマホに分娩用プレイリストを用意していた。しかし、助産師Kは目を通しても無言。しばらくして『音楽ね。』と言って、分娩室にあるラジカセのスイッチを押した。音楽を流してくれるのかと理解し耳を澄ましていると、流れてくるのは”中国4千年の歴史”を彷彿させる大陸的ミュージック、次に雲南省あたりの色とりどりな民族衣装が目に浮かぶような民謡、そしてNHK朝の連続ドラマ小説「オードリー」の主題歌、NHK映像の世紀のBGM、タイタニックのあの歌という微妙なセットリスト。
ベッドの上で座ったり四つん這いになったりどうにか痛みが和らぐ体勢を模索し、耳から入る煽り系BGMに悶々としながら、事前に読んでいた出産の手引きでは子宮口5センチから初産の場合は12時間とあったため、この先を想像して絶望感を味わう。
ちなみに、母親教室では、コロナ禍で家族の立ち合いができない分、助産師が腰を擦ったりケアしてくれると聞いていたが、そんなことは全くなかった。
2時00分 分娩台へ
陣痛の間隔が1分になる。尿意に襲われトイレに行く。一人で歩けるか自信がなく助産師Kに声をかけるも『大丈夫』と一蹴される。トイレから出ると、急に吐き気がする。そのことを告げると、分娩室に行くように言われる。ふらふらになりながら移動し、やっとの思いで分娩台に上る。
2時05分 子宮口10センチ
内診があり、子宮口が10センチまで開いていると告げられる。20〜30秒間隔で来る陣痛は大型トラックの荷台に括り付けられ振動を腰に直に感じならが高速を走っているような感じ。容赦なく突きあがってくる痛みで息ができなくなる。分娩台から見えやすい位置に時計があった。嫌でも次の陣痛がどのくらいで襲ってくるのがわかる。次の陣痛の恐怖で、助産師Kに助けを求めるもに『あと2時間は耐えないと。分娩はマラソンやで。』と軽くあしらわれ、またしても絶望を感じる。
分娩台の上で分娩着を着用するように言われる。痛みがひどくうまく着替えることができないでいると助産師Kに『しっかりして。』と怒られる。
痛みで全身が震えだしガクガクしていると、『エリカさんしっかり。』と名前を間違えられる。※その時はどうでもよすぎて無視したが、その後何度も間違えられる為、陣痛の合間に訂正をした。
意識が朦朧としていたところ、酸素マスクをつけられる。陣痛の痛みに耐えられず、とっさに助産師Kの服を掴むも『ちょっと!破れるやん!』と怒られる。
2時52分 破水、会陰切開、吸引分娩
秒針の動きを見つめ、陣痛に怯え、陣痛の度に『痛い!痛い!』と叫ぶ。すぐ隣の陣痛室で待機しているもう1人の産婦さんがこの叫び声を聞いて怖くなっていないかな?という申し訳ない気持ちが過ぎるも叫ばずにはいられない。声が枯れるほど叫ぶため、喉が乾き持参したペットボトルのお茶を飲ましてもらう。陣痛の度に息を止めてしまいそうになるが、助産師Kに何度も『深呼吸!!』と恐喝され、なるべく深い呼吸に挑戦するも痛みがあるため難しい。
遂に、何度目かの呼吸吐ききるタイミングでぐっと力を入れたらバシャっと破水してしまった。それまで分娩室と陣痛室をいったり来たりしながらも、どこか余裕を感じさせるような雰囲気で一人で対応していた助産師Kだったが、この破水を機に急に焦りだした。
どたばたと医師H、助産師Yが参戦してきた。助産師Kが医師に『まだ、入院手続きもできてないのに、急に~~~』と早口で説明をしており、どうやらかなり早く進んでいるということに気付く。陣痛の度に医師Hが子宮に指を突っ込んでくるのが呼吸が止まるくらい痛いが、呼吸を止めると助産師Kに怒られるため、深呼吸を頑張る。急に医師Hが『赤ちゃん苦しそう!!』と焦りだす。
吸引分娩に移行することが決定し、麻酔をして会陰切開をされる。切られていた間は意識がなく知らぬ間に吸引機が挿入されていた。いきむように指示があるもうまくいきめず、助産師Yに握るグリップの位置を変えるように言われる。グリップを変えると踏ん張りやすくなり、『これで最後になりますように!!』と祈りながらいきんだ(たぶん)3回目のいきみで頭が出る。その後いきみ続け、身体も出る。
▷誕生と後陣痛
3時12分 誕生
誕生。赤ちゃんは青かった。その後大きな声で泣きだし真っ赤になる。吸引分娩だったため小児科の医師も参戦し赤ちゃんの状態をチェック。助産師Yが私のスマホと病院のカメラで赤ちゃんを撮影してくれるのをぼんやりながめている。
一息つく間もなく胎盤を出すため、助産師Kにお腹をぎゅうぎゅうかなり強い力で押される。なかなか胎盤が出ない。そして痛い。お腹を押される度、『痛い!』『痛い!』と訴えても『そんなに痛いか?』と容赦なく助産師Kに押される。
3時15分 旦那寝てる?
助産師Kが『旦那さんに、産声きかせてあげたら?電話したらいいよ。』とスマホをわたしてくれた。しかし、掛けるも旦那は出ない。
※旦那は当時爆睡していたらしく、既読がついたのは7時をまわってからだった(怒)
ーこの時は『ん?』と思っただけだったが、後々この時の恨みが爆発することになる。ー
旦那は諦め母にテレビ電話していると、『スタッフを写したらあかん!』と怒られる。
3時25分 痛みは続く(縫合、後陣痛)
胎盤が出る。医師Hが会陰の縫合を開始する。縫合の麻酔が効かず、針が入る度に『痛い!』と叫ぶ。医師H(男)『そりゃあ赤ちゃん産んでますからね、お産は人生で一番痛いっていいますからね。』と言うのでイラっとする。
痛い以外の思考が働いていないため、曖昧な意識だがおそらく20針以上は縫われていたとおもう。永遠に縫うんかと絶望しかけている時に縫合が終わる。
医師Hに『赤ちゃん目がぱっちりくりくり』と言われるが、私はベットの上で身動きが取れず、まだ赤ちゃんを見ることができない。その後、医師Hから新生児検査(追加1万)の説明と、破水が早すぎて、赤ちゃんが降りてきてないのに羊水が出てしまい、首にへその緒が絡んで危険な状態だったと言われる。うまくいきめたから吸引できたが、さもなければ帝王切開になってたと言われた。朦朧とした意識でぼんやりとしか反応しかできず『そうなんですね。』と言った気がする。
後陣痛が始まり再び痛みに悶える。子宮を収縮させる点滴を付け、子宮の収縮を促進させるために腹に氷枕が置かれる。冷たさと痛さで気絶しそうになる。
そばでは、赤ちゃんがずっと泣いてる声が聞こえる。まだ全貌が見えないが、指をすったりしてるのをベッドから首のけぞらせて観察する。
4時30分 初めての抱っこ
赤ちゃんのチェックが終了。母体の血圧も測り、問題がないのでカンガルーケアをさせてもらう。恐ろしくかわいくて自然と涙が出てくる。赤ちゃんは目を閉じているので、先ほど医師Hは何をみて目がくりくりって言ったのか疑問に思う。
赤ちゃんは無臭。小さいのに爪があることに驚く。髪の毛もふさふさ。吸引されたため、頭の形がおかしい。抱っこしていると徐々に赤ちゃんの目が開いてきた。
4時45分 胎盤を見る
赤ちゃんと解散。しばらくは自力でトイレに行けないため、尿道に管を通される。痛すぎて訴えるが、この頃から助産師Kに無視される。へその緒と胎盤とそこから延びる見せてもらう。思ったより大きく迫力がある。これ、お股から出したの?!この胎盤がずっと赤ちゃんを守り、栄養を送ってくれていたかと思うと何だか尊いものに思えてくる。
そして退院の日の説明を受ける。引き続き後陣痛が痛い。
分娩から1時間が経過し、子宮の収縮もよいとのこと。お尻に敷いたシートをかえてもらうも、助産師Kが早口すぎてタイミング合わずに怒られる。なんとかシートを交換するも、腰までべっとり血がついていて身をよじらせたタイミングで変えたばかりのシートも汚してしまう。助産師Kに『もう!動いたらあかんやん!』と再び怒られる。急に吐き気がしてくる。そしてのどが痛い。しばらく安静にしている。
5時40分 下腹をみる
持参した前開きのパジャマに着替える。助産師Kにパジャマのボタンをあらかじめ開けておかなかったことを怒られる。病院支給の産褥パッド(どでかい生理ナプキンみたいなもの)とショーツを履く。この時はじめて産後の我が腹を見た。3キロの赤ちゃんと2キロの胎盤と羊水を出したはずなのに意外とぺちゃんこではなく、ヨボヨボながらにぽっこりふくらんでいる。そして臍の周りには年輪のような妊娠線、お腹を縦に走るドス黒い正中線が見えた。妊娠線防止のケアは頑張っていたつもりだったが無駄だったことを恨む。病室に移動する為、車いすに座る。なんとかベッドの縁に座って伝いながら車椅子に乗るも、乗った瞬間ドバッと出血した気がして着替えをゼロからやり直す。助産師Kはなんとなく不機嫌になる。
▷産後入院生活の始まり
6時00分 個室へ移動、助産師Kの飴と鞭
病室(個室)にいく。助産師木村に持参した授乳クッション兼抱き枕を褒められる。『叫んだから喉が痛い。』と訴えると助産師Kに『ぜんぜん大人しい方よ、上手にいきめてたし呼吸も上手かったから王子も元気に産まれてこれたねんで。』と初めて褒められる。助産師木村がいい奴かと思う(飴と鞭)。
しばらく寝るようにと言われるが、後陣痛痛い、お腹にぐるぐるにくくりつけられた氷枕が冷たい、縫合が痛いで寝られない。スマホの充電がなくなりかけていたため、必死に手を伸ばしてコンセントにつなごうとするも腕の長さが足りず、充電器を落としてしまう。助産師木村に携帯充電器拾ってもらったが、舌打ちをした気がする。
6時30分 産後初めてのトイレ
助産師Kが病室に訪問しにくる。トイレにいきたくなり病室内のトイレを手伝ってくれる。点滴をもって引っかからないように下を見てそろそろ歩こうとすると『前見て歩く!』『鼻血みたいな出血ちゃうんやから!』と怒られる。その後、寝ようにも氷枕が冷たく、後陣痛と縫合の後が痛くて寝られない。
7時35分 寝られない
助産師Kが再び訪問。アドレナリンが出まくっているのと痛みと腹部の冷たさで寝られない。点滴を外してくれるも氷枕は外してくれない。私と同じタイミングで陣痛室にいた産婦さんはまだ産まれていないと聞く。あの痛みに5時間近く耐えている彼女を想像し涙ぐんでしまう。
7時45分 朝食
朝食がくる。配膳担当の看護師さんがメニューを見て、『卵焼きくらいかなぁー。食べられるの。』と言ったのが気になったが蓋を開けると確かにテンションが上がらないラインナップ。ベッドの上のテーブルを動かし食べやすい位置に置いてくれるが、座るのが痛すぎて悶えながら食べる。
8時30分 安静解除
再び、助産師木村来てトイレを手伝ってくれる。食器を片付けて、薬が与えられる。子宮が順調に縮んでるため、安静解除になる。もうベッド立ち上がって良いらしいが縫合の後が痛すぎるからじっとしてる。後陣痛も痛すぎる。こんな身体で明日1日から母子同室ができるのか不安になりながらひたすらじっとしている。
11時00分 副婦長の訪問
副婦長が訪問してくる。今日から看護学生が研修に来ており、退院まで血圧を測ったり内診をさせてもらえないか、とのこと。男子学生もいるため嫌なら入室させませんと言われたが、とりあえず了解する。
12時00分 昼食
昼食。座るのが痛く電動ベッドで斜めの体制になりながらなんとか食べる。
17時30分 夕食そして寝られない
夕食。持参したふりかけを2袋大人使いしなが食べる。
睡眠をきちんととらないといけないのに、深く眠ることができずにFUJIROCKの配信を見ていた。
中村佳穂のLIVEが最高すぎて泣いた。
8月1日月曜日 7時30分 朝食
ふりかけ2袋を駆使し食べ終わる。
9時50分 小児科医訪問と衝撃の宣告
小児科の医師が来る。吸引分娩で赤ちゃんにできた頭血腫の治まりが良くないとのことで、しばらくNICUに入院になると説明を受ける。NICUの入院手続き、面会方法などについては、後ほど看護師が訪問してしてくれるとのことであった。医師が退室後、疑いの可能性があるといわれた帽状腱膜頭血腫についてネットサーチしまくり不安になる。
11時00分 シャワー
安静解除後はシャワーもOKになっていたので、予約していた時間帯にシャワールームに出かけた。全身鏡が置いてあり、改めて全然へこんでいないお腹とはっきり残った正中線を目の当たりにし、凹む。風呂上りにタオルを忘れていることに気付く。しかたなく、それまで来ていたパジャマで身体を拭く。べっとりと悪露が付き、凹む。
12時00分 昼食
またしてもふりかけが大活躍。
16時00分 初めての搾乳
女性1名、男性1名の看護学生を連れた看護師が搾乳の説明をしにやってくる。しばらくは搾乳した母乳を冷凍し、NICUへ届けることになるため搾乳マシーンと授乳室での母乳の提出方法について説明を受ける。使用するのはシンフォニーという電動搾乳機で、赤ちゃんの吸いつきを再現したものらしい。初めは看護師と女性の研修生に見守られながら搾乳。(男性研修生はカーテンの向こうで待機)搾乳後は、授乳室に行き、シリンダーのもらい方、記名の仕方や、冷凍庫の保管場所などを教えてもらう。母乳を届けるための専用パウチをコンビニで買ってくださいと言われる。
※この後3時間ごとの搾乳がはじまる。
17時00分 小児科へ
いつまで待っても小児科の看護師の説明がないため、産婦人科のとなりの病棟にある小児科まででかけることにした。(忙しいのにあつかましくすみません。)15分ほど待たされ、忙しそうな看護師から入院手続きの書類と、面会方法について説明を受ける。また、小児科で撮影してもらった赤ちゃんの写真が張ったカードをもらった。小さい身体にいくつも管を通されている姿がとてもかわいそうだった。面会は予約制で1人15分まで。スマホでの撮影はNGで病院のカメラで撮影は可能。SDカードを用意するようにとのことであった。また、面会時に管に繋がれた我が子を見てショックを受ける親もいるとも言われていた。一番早い枠の3日14時に面会予約をした。すぐさま母に連絡し、SDカードを届けてもらうようお願いした。
18時30分 夕食と小児科医師の説明
夕後中、小児科の医師が訪問してきた。医師からはよくミルクを飲み、おしっこもし、とても元気で黄疸の数値も問題ない為、明後日3日には同室になると説明を受けた。
20時00分〜6時00分 3時間ごとの夜間搾乳
夕食後も3時間おきに起きて搾乳をする。搾乳の度にナースステーションにいって、シンフォニー(搾乳マシーン)を借りるのが地味に面倒だった。私の他にも3人シンフォニーを必要としている産婦さんがいるらしくたまに貸し出し中になっていることもあった。
20:00 14ml
23:00 14ml
2:15 5ml
5:15 7ml
明け方になるについて搾乳できる量が減ってしまった。
8月2日 火曜日 朝食とコンビニまでの冒険
朝食後、搾乳した母乳を保存する専用パウチを購入しに病院の1階にあるコンビニへでかける。壁をつたいながらそろりそろりと歩きながら向かう。コンビニは向かう途中、1階のロビーで入院中の患者さんが、母親と思われる人と話している姿を目撃した。コロナ禍で全病棟が面会NGになっているが、みんなやっぱり会いたいよね。
11時00分 搾乳with研修生
この時の搾乳は、研修生も立ち合せてくださいとのことで女性の看護学生に見られながら搾乳をする。搾乳は片乳15分と地味に時間がかかる。搾乳マシーンのウィーンウィーンと赤ちゃんの吸い付きを再現した吸引ビートを刻む中、研修についてなどたわいもない会話をしていた。(今思い返すとかなりシュール)
※この後も3時間ごとの搾乳は夜中意外、この研修生の立ち会いのもと行われたが記録は省略する。
12時00分 昼食
この日からごはんはベッドの上でなく、テーブルで食べるようにしていた。(もちろん円座クッション必須)
14時00分 小児科医再び
再び小児科医が来る。経過は順調で明日9時の検査で問題がなければ午後から同室になると説明を受ける。
18時30分 夕食そして夜間搾乳、乳痛い
夕食後は3時間毎に搾乳をした。徐々に母乳の分泌量が増えるにつれ、乳の張りを感じるようになりそれが次第に激痛に変わってきた。授乳室の冷蔵庫にストックされている保冷剤で乳を冷やし火照りを癒した。これが冷たくてまた寝られない。
20:10 18ml
23:40 19ml
2:50 21ml
6:50 15ml
8月3日 水曜日 8時30分 朝食
このころには後陣痛はだいぶましになっていたが、会陰切開の跡がずっと痛くドーナツ型の円座クッションがないと座ることができない状態であったため、退院後の生活のためにメルカリで購入した。乳は引き続き痛い。
9時30分 小児科医訪問
朝食後うとうとしていると再度小児科医がやってきた。検査の結果、問題なく午後から同室になるとのこと。ワクワクドキドキで眠れない。股と乳は痛い。
12時00分 昼食
▷母子同室開始
14時30分 母子同室開始
ついにコットに乗せられて赤ちゃんが病室に運ばれてきた。看護師と研修生2人(男女)も一緒だった。すやすや寝ていたが、徐々に身体をもぞもぞさせ目を覚ました様子。『ちょうどよいので授乳してみましょっか。』と看護師。
まず乳首を絞り、ちょうどよい柔らかさになったところで赤ちゃんに咥えてもらうのだ。看護師が手袋をつけ、乳首マッサージをしてくれた。とてもよく伸びるとのことでほめられた。この時男子研修生はカーテンの向こうにいたが、もしよければ授乳を見学させてもらえないかということだった。減るものでもないし、それまでに女性研修生に毎回昼間の搾乳を見学されていたし、羞恥心なんてほぼなくなっていたのでOKすることにした。『いいですが、乳首は液晶TVの画面くらい黒いですよ。』とジャブを入れつつ、いよいよ初めての授乳となった。『初めてとは思えないくらいナイスコンビネーションやね!』と絶賛されるほど、赤ちゃんはしっかりラッチオンし、わたしのおっぱいもよく出た。10分づつ飲んだあと、ゲップを出し、おむつを替え、コットにやさしく置くとまもなくしてすやすや眠りだした。看護師と研修生が退室した後は、初めての授乳の感動に震えながら、ひたすら無音カメラで赤ちゃんのあらゆるパーツを撮影しまくった。
無事同部屋が始まった後も、ゆるゆるになった骨盤底筋のせいでトイレが間に合わずスリッパやパジャマにさよならする事態に(2回)自尊心が底を尽きたり、赤ちゃんのギャン泣きに困り果て深夜に助産師さんに助けを求めたりといったこともあったのだが、入院中の記録は一旦記録はこのあたりにしておく。
8月5日金曜日 そして退院
母子同室から2日後、予定通り退院することができた。
退院後、マタニティブルーズが到来したことなどアフターストーリーはまた別の記事にまとめてみたいと思う。
▷最後に 『母子共に健康です』は本人意外発言するな
ーー『母子共に健康です』は本人意外発言するなーーこんな呟きをSNSで見かけました。
出産前は『確かに〜笑』なんて気楽に【いいね】していましたが、人生で初となる出産を経験し、この言葉以上に出産に関わる夫婦の間の全てを表すものはないのではと感じでいます。心の底、いや足のつま先から、産後の抜け毛が目立つ頭の先まで、つまり全身全霊で共感してしまうのです。
発言する側はピースフルな気持ちで溢れんばかりの幸せと感謝をこの言葉に込めているのであり、決して責められるものではありません。そんなことは分かっている、いるのですが、我が夫が例に漏れず『母子共に健康です。』を実家への報告で発言していたことが判明した際、『出産時寝てた上に、ざくざくに切った股や、バッキバキに張った乳の事情も何も知らないお前が、絶対その言葉を使うな!!!』とマジギレしました。
旦那にしてみれば味わいたくても味わえない、出産経験に対して『経験してないお前が言うな』と言われるのはなんとも理不尽なことでしょう。しかしあれだけ痛かったのです。冷たかったのです。恥ずかしかったのです。苦しかったのです。マジギレの1回くらいさせてくれ。
『母子共に健康です。』に替わる言葉として『母子共にめちゃくちゃ頑張りました。』はどうでしょう。だってめっちゃ頑張ったもん。
出産を終えた母子を労う言葉、素敵ではないでしょうか。
長文にわたる私的で稚拙な記録にお付き合いいただき、ありがとうございました。