社会的弱者と生産性、戦争という暴力について

 いくつか、自分が見聞きし考えてきたことを記したいと思います。

 学生時代、ボランティアで障害者施設の事務局員(後に就職します)をしていたとき、公務員をしていた義理の叔父より「大学まで行ってる人間が障害者に関わる仕事に就くのは人としての効率が悪い」と言われたことがあります。
 卒業後、その障害者施設で働いているときに「生産性の低い障害者に金をかけるのは理不尽だ」という言葉を聞いたこともありました。
 高齢者施設で働いているときに実習に来た学生が私の上長に対し、「この仕事(高齢者介護)に生産性はあるんですか?」と尋ね、その話しを聞いた上長は返事に戸惑っていたことがあります。
 発言の一部に「同性愛者は生産性が低い」とする国会議員の方がおられました。
「生産性の低い障害者は死んだ方がよい」と殺人の正当化の弁をする犯人がおり、またその論に「みんな表では言わないけど、正論だよね」と擁護する人がいる。
 障害者の様々な権利獲得運動に携わっていた時期があり、当時としても古い考えであったが「税金を使う障害者から税金を納める障害者へ」という、主にプラグマティズムを信奉するアメリカの一部から唱えられた主張が、一定の理解を持って受け入れられるのも目にしてきました。

 私自身が経験してきたこれらのことと、どこか同じ文脈であるだろうと思った話があります。

 昨年(2018年)の台風シーズン、避難所でホームレスの受け入れ拒否があり「税金を払ってない者が利用するのはおかしい」と、拒否をした区側の立場を弁明する人々の言葉を見かけました。

 これらすべてについての考察という訳でも無いのですが、以前より考えていたこと、もやもやとしていたことを、まとめてみようと思います。
 データに基づいたものでもなく、勝手な自分自身の思いを書き連ねているだけなので、結論や、こうすべき、というものでもなく、書き終わっても、もやもやは続いています。
 自分の思考の方向性を整理するための書き記し、と思っていただくと幸いです。

 私が暮らす日本という国においても、子どもや疾病、障害や高齢化により、通常の労働と豊かと言われる生活の範囲からこぼれ落ちてしまった人は、一定の比率で存在していると思います。
 そのとき、それらの人達を「労働生産性が平均値、もしくは中央値に比べて高いか低いか」という論で判断すれば、「低い」となるのも理解出来ます。
 もちろん「生産性というモノが、一人一人の人間に対して絶対的な数値化が出来るのか」という疑問もあるのですが、その是非を答うことはここでは扱わないでおきます。

 私は先に上げた見聞で述べられてきた文脈の中の『「生産性」による人間の区別が人権の根本である生存権を脅かすことになる』ということに、やはりおかしさを感じ得ないのです。

 モノを製造する効率、という点だけに注目すれば、もしかしたらこれらの論は正しいのかもしれません。
 ただ、私にとっては自分の中の理性にも感情にも、どちらにも合致し得ない命題になるのです。

 では障害者や高齢者自身、子どもや妊婦、ホームレスなどに取って、また彼らが使う施設やサービス提供を主たる現場で働く人達に取って、世間でよく言われる「生産性」というものを、どのように捉えるといいのでしょうか?

 私の中での定義は「現在その境遇に無い人でも、何らかの理由でその境遇に変化したときに『安心して生き続けていくための施策がある』という安心感を保証するもの」というものです。

 人間、いつなんどき、どのような状態に置かれるのかが分からないのが人生なのだと思います。

 往年の名女優がマンションで孤独な死を迎える。
 かつてマスコミで人気もあり、億単位の年収があった人が晩年は一人で生活保護を受けながら亡くなる。
 老後には公的な保証以外に2000万は無いと安心出来ない、とテレビのキャスターが伝える。

 私達が普段報道で目にする、あるいはスキャンダラスに報じられるニュースの中の一コマでは無いでしょうか。

「元気なうちに、羽振りのいいうちに、色んな可能性に備えておかなかったのは自己責任だ」という論もあるのかもしれません。
 それとは別に「他人様にお世話になるぐらいなら世間との関係を絶った方がましだ」と思う人もいるかもしれません。

 社会的なセーフティーネットの構築について、働かなくても食べていける人がいれば、逆に真面目に働いている人のモチベーションが下がって全体の生産性が落ちる、という話しをする人もいます。

 私の中ではこれらの発言はみな根っこが繋がっている出来事であり、人々が漠然と感じている将来への不安の裏返しではないかと思うのです。

 例えば、目に見えやすい形で誰もが迎える老いという現実。
 それよりも少し想像しにくいことかもしれませんが、日常生活において自らが何らかの生きづらさを抱えてしまうかもしれないという不安。
「もしものとき」に備えた金融商品、保険商品が売り出される背景は、「普通」の生活をしているだけでは「もしものとき」に備えることが出来ない、という確からしい予測の裏返しなのではないでしょうか。

 働ける時期があり、働けない時期もある。身体的、精神的な事情で働けない人もいる。
 それらの人々が当たり前に存在し、贅沢は言わないが、日々の幸せをなんとか享受出来る社会。
 それは今現在、理想郷として語らねばならないほど遠くにあるものなのでしょうか。

「みんな大変なんだ」
「困っているのはあなただけではない」

 そういう理屈で納得を強いる圧力もあるのでしょう。

 それでも、そうは言っても、今そこに困っている人がいるとき、「社会」がその人に手を差し伸べない理屈になるとは、私は思いません。

 ある事象が、ある地域内にたくさんあり、その集団内で何らかの基準に照らした際のばらつきがある。そのばらつきを偏差値で表した際の両端、あるいは片方の端にある部分を否定し、締め出してしまうと、おそらくその集団全体のばらつきのピーク高度は下がってしまうのでは無いのでしょうか。
 山が高い頂を持つためには、広大なすそ野が必要だと思います。

 かつて国際障害者年、国連・障害者の10年を規定した国連の宣言文章前文には、次のような言葉がありました。80年代当時、障害者運動の片棒を担いでいた私の耳にも届いた言葉です。

「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは弱く脆い社会である」
 そして同時に、宣言文では次の言葉も記されています。
「多数の障害者が戦争や他の形の暴力の犠牲者であり、また、国際障害者年は世界平和に対する各国間の持続的および強化された協力の必要性を再認識することに貢献する」と。

 逆に言えば、社会がある層を締め出そうとする風潮にあるとき、その社会は暴力を肯定しようとする流れに乗ってしまってきているのではないでしょうか。

 以前、障害者の交通権保障の運動企画に取り組んでいたとき、ボランティアで参加する予定の学生さんの前で、話しをさせてもらったことがあります。
 30年ほど前のことですが、そのときの私の持ちネタの一つに、次のようなものがありました。

「私が3歳になったとき、人類はアポロ計画で月の地表に一歩を踏み出し、宇宙飛行士達は月面の低い重力の下で、まるで飛ぶように歩いて見せてくれました。残念ながら、今、この国では下肢や身体に運動性の障害がある人、視覚や聴覚に障害のある人、杖をついたお年寄り、大きなお腹を抱えた妊婦さん、その他にもたくさんいるであろう社会的不利益を被る人達が、自由に家や施設の外に出て散歩や買い物、移動を楽しむには難しい面がたくさんあります。もし、皆さんの次の世代の子ども達が3歳になったとき、この地球の上をどんなに重い障害があろうと、あるいは無かろうと、みんなが自由に散歩し、デートをし、買い物や映画を楽しむことが出来る社会になっていたら、どんなに楽しいことでしょう」

 担架の時代には最低2人は必要だった重度の身体障害状態にある人の搬送は、車椅子やストレッチャーの開発普及により、1人の介助者で動けるようになりました。電動車椅子を適切に利用すれば、重度の身体障害者が自分一人で水平移動は出来るようになりました。
 狩猟を中心としていた時代には致命的であったろう近視や遠視といった視覚機能の調節障害は、眼鏡やコンタクトレンズという矯正器具の開発で日常生活においてかなり障害は軽減されてきています。
 松葉杖が必須とされた下肢の欠損障害も機能的な義足の開発で介助具を使わずとも、1人で歩き、走り、跳び、成果を競う競技会をも開催出来るようになりました。

 私は、人類が長い年月の中で培い、勝ち取ってきた権利、人権という考え方は大切なものだと思います。
 また同じく長い年月の中で蓄積・向上してきた技術は様々な障害や社会的不利益を減少させてきているとも確信しています。
 さらには、これまでの戦争という暴力が、また資本の蓄積という貧困を生み出す社会の仕組みそのものが、科学や技術に及ぼした影響も大きいということも認めています。
 先に述べた月面への到達も、おそらくは大国同士の意地の張り合いすらも原動力となった末の成果なのでしょう。

 それと同時に、もしくはそれゆえに、過去に行われてきた戦争や差別や処遇を、現在の考えから見て非難することは出来ないのではとも思っています。

 もちろん、現在進行形で起きている様々な出来事の一つ一つを検証し、人々の生活に根ざした要求を勝ち取っていく活動は大切であり、とてもとても必要なことです。
 ただその活動は常に「今後、どのようにその経験を社会が生かしていくのか」という立場を社会全体で保障していかないといけないとも思っています。

 人類が膨大な世代を紡ぎながら獲得してきた考え方は、過去を断罪するためのものではなく、未来を構築していくためのものだと思うからです。