まるお食文化エッセイ『夏に通が食べる魚介10選』
春には初鰹や鰆、三河湾の鳥貝などの貝類、初夏には長良川の鮎、秋には秋刀魚や戻り鰹、冬は富山氷見の鰤、日間賀島の河豚、鮟鱇、真牡蠣など、その季節にしか味わえない魚や、その季節だからこそ美味しい魚が日本では一年中楽しめる。イギリスなんて海に囲まれた同じ島国なのに、一年中フィッシュ&チップスに使う鱈(タラ)か、スターゲイジー・パイに使うピルチャード(大型のイワシ類)くらいしか魚を食べない。これは緯度が高くて海水温が低いので、生息する魚が極端に限られているかららしい。日本は豊富な魚介類が食べられる素晴らしい環境にもかかわらず、昨今は旬の魚というのを食べなくなったような気がする。都会のスーパーでは、遠洋のものや、冷凍ものが主流で販売されており、近海の旬の魚が食卓に上ることはほぼ皆無となっている。また飲食店でもほとんどが遠洋、冷凍、養殖ものを使用しており、魚で季節を感じることが難しくなっている。それでも一部の真面目なお店や、高級料亭、高級寿司店などが、毎日市場に出かけて魚を選び、旬にこだわっている。
夏に必ず食べてほしい魚介類を紹介する。
<白身魚>
以前のエッセイにも書いているが、白身魚を生で食べる場合は食感がコリコリしていなければならない。一本釣りしたものを1-2日水槽で泳がせて、活け締め(首と尾を切り神経を抜く)したものを、鮮度の良いうちに食べることが味の評価の前提となる。前日に締めたものや、網で獲ったもの、野締め(自然死)のものは、元々の素材がどんなに良かったとしても、食感がダラダラで美味しくない。よく釣り人が「いま釣ったばかりで鮮度バツグンだから刺身にしてくれ!」と言って持って来るが、活け締めしてない魚はダラダラで刺身としては美味しくないから、「いやです。焼魚用か鍋用ではどうですか?」と応えるとめちゃめちゃ不満顔をされる。で、押し問答の末、無理やり刺身にさせられた挙げ句に、お礼にあげるといわれるのが本当に困るのである。
さて、夏の白身魚といえば、第一に『鱸(スズキ)』が挙げられる。秋に産卵をすることから、夏に獲れたものが栄養を蓄えていて最も美味しいといわれている。よく似ている魚で『シマス(ヒラスズキ)』というスズキの仲間があり、こちらの旬は逆に冬となる。味の違いは、スズキが河口付近に生息し、川魚のような風味がある一方で、磯に住むシマスにはそれがなく、鯛に味が近いという。恥ずかしい話だが、私は現役時代、このシマスとスズキを見分けることができなかった。というのも、シマスはスズキよりも圧倒的に個体数が少なく、貴重で高価な魚であることから、時々しかお目にかかれなかったからなのだ。スズキは夏らしく『あらい』で食べたい。切り身を氷水できゅっと〆めて、氷の器で出てくればより涼しげで良い。
夏に食べる白身魚の最高級魚は何と言っても『イチミダイ』である。聞きなれない名前かもしれないが、釣りが好きな方には『メイチダイ』と言ったほうが分かるかもしれない。メイチダイのほうが正式な名称なのであるが、我々愛知県近辺の飲食店・魚屋・漁師は、イチミダイと呼ぶのが一般的となっている。イチミダイは幻の魚ともいわれ、8月の1ヶ月間ほどしか獲れないだけでなく、時々しか入荷しない超希少魚なのである。白身魚にしては珍しく夏に脂が乗り、身の締りもよく、白身魚の中では圧倒的に美味しい。ある旬の時期に名古屋駅の有名な寿司屋で『今日はイチミはありますか?』と訊いてみたら、『一味唐辛子』が出てきて驚いた事がある。あらためて尋ねてみると、その板さんはイチミダイという存在すら知らなかったのだ。まあ、それほど幻で高級な魚なのである。
<烏賊(イカ)>
烏賊は一年中あるように感じる方が多いと思うが、夏の烏賊といえばまず第一に『アオリイカ』である。おめめの上が鮮やかなブルーで、まるでナジャ・グランディーバさんのように妖艶である。身は厚く柔らかく、粘着性と弾力性がある。甘みや旨みが非常に強い。アオリイカ以上にお薦めで、絶対にお寿司で食べてほしいのが『スミイカ(コウイカ)の新子』、スミイカの赤ちゃんである。手のひらの半分以下のサイズのものが、8月の2週間ほどの間に出回る。イカ1パイで寿司1貫しか握れないという小ささである。ツルッとした舌触り、何とも言えぬ柔らかさと、ほんの僅かな歯ごたえがたまらない。優しい味なので醤油をつけずにレモンと塩がよい。アオリイカもスミイカも三河湾で獲れる。
<光物>
夏の光物は誰が何と言おうが『シンコ』である。正式には『コハダ(コノシロ)の新子』で、出始めの体長5cmほどの極小のものを寿司にするのが通である。あまりにも小さいので、寿司1貫にシンコ5匹ほどを使う。醤油や煮切りなど何もつけずに食ったほうが良いが、少し大きくなったものは振り柚子をしても良い。出始めのシンコは極小故に繊細な仕込み技術が必要で、酢〆めの時間を極端に短くするため、ストップウオッチ片手に秒単位の作業をしなければならない。シンコは、最初九州で獲れ始めて、キロ当たり2-3万円でお金持ちの多い東京で取引される。次に遅れて三河湾のものが出てきて、名古屋の市場でキロ当たり1-1.5万円くらいから相場が始まる。シンコは、日ごとにみるみるうちに大きくなり、2週間後には普通のコハダの価格になってしまう。
<雲丹(ウニ)>
雲丹は北海道産が有名だが、夏は地元の雲丹が美味しくなる。三重県にある坂手島は、鳥羽からポンポン船で8分ほどの小さな島である。ここで獲れる雲丹は『アカウニ』という種類のもので、一般には『坂手の雲丹』とストレートに呼ばれている。昔はおかつぎさんというおばあさんが背中に大きい荷物を背負って、坂手島から近鉄電車に乗って名古屋に運んできていたらしい。通人から『日本で最も美味い雲丹』と豪語されるほど実際に美味い雲丹である。木の箱には北海道のものよりやや小ぶりの雲丹が裏返しに並べられているのが特徴である。防腐剤を使用しておらず、雲丹に時々みられる臭みや嫌な味もない。ほのかな甘みと豊かな旨味、まるでカフェオレのような風味は、僅かに余韻にある苦味の心地よさからきている。味が繊細なので、海苔を使用する軍艦巻きでは海苔の風味が強すぎるため、寿司でもつまみでも海苔を使用しない。
坂手島は江戸川乱歩の奥様の出身地である。江戸川乱歩が鳥羽造船所で働いていた時、鳥羽おとぎ会を結成して鳥羽周辺の小学校を回り演壇で話をしていた。その頃、坂手小学校で教員をしていた奥様と出会い、結ばれたのだ。かつて乱歩賞のパーティーでの名物料理が『雲丹丼』であったことは坂手島の雲丹に関係するのだろうか?うーん、ミステリーである。
また、関西では『淡路島の雲丹』も日本一美味いと言われている。名古屋でも仲卸で見ることができる。こちらも坂手島と同じ様に雲丹が裏返しになって箱に収まっている。坂手島より粒が若干大きいように見える。以前に京都錦市場に4-5人入れば満席の日本一小さいであろう寿司屋『さか井』に行った時、私が雲丹の見た目から淡路島産をピタリと当てたことがあって、店主がびっくり仰天していた。
<貝>
夏に食べるべき貝は何と言っても『岩牡蠣』である。時々「牡蠣を夏に出すなんて怪しからん!」と文句を言う人がいるが、無知というのは悲しいものである。真牡蠣は冬が旬であるが、岩牡蠣は夏が旬となる。岩牡蠣は真牡蠣よりもかなり大きい。真牡蠣は海岸の浅瀬で養殖されるが、天然の岩牡蠣は海底の深いところに生息し、過酷な環境に耐えるために殻が大きく分厚くなっている。元々岩牡蠣はすべて天然物であったが、今は養殖もありサイズも小さい。天然物は海女さんが潜って手で獲るので、漁獲量が少なくかなり高価である。石川県の能登の天然ものが大きくてクリーミーで極上である。身が大きいので4-5等分に切り、ポン酢と浅葱で食べる。牡蠣にはタウリン、ビタミンB1、B2が豊富に含まれているため、夏バテにも、〇〇にも良い。
貝の王様といえば、やはり『鮑(アワビ)』である。鮑には俗にいう赤(白)と黒(青)があって、昔よく言われた雌雄というのは間違いで、実際は種類が違う。雌雄は外観での判別は通常できず、肝の色で判別する。雄はクリーム色で、雌は緑色をしている。赤は黒に比べて殻が大きいが浅いため身が薄く縮みやすい。食感も柔らかく味も優しい。黒は貝殻が深く身も厚くしっかりとしていて味が濃厚である。赤と黒の鮑を妊婦に食べさせると目のキラキラした子が生まれるという言い伝えがあるので、長男が生まれる時に妻に食わせたら、我々夫婦に似つかわしくない綺麗な目をした子供が生まれた。その後、次男と三男の時には鮑を食わせなかったら、我々に似た細い目の子が生まれたよ。ごめんね次男三男。
国産では三陸あたりのものが上質でよく出回っているが、やはり伊勢のものが最上である。ただし高価でなかなか入手が困難である。頻繁に見かける100g前後の小さい黒鮑は韓国で養殖されたものが多く、安価ではあるが味がやや劣る。私が出会った今までで最も素晴らしい鮑は『志摩観光ホテル ラ・メール』のものである。すでに一線は退かれていたが憧れの高橋忠之氏の海の幸のフランス料理を一度は味わってみたいと思い、鳥羽の断崖絶壁からダイブする覚悟で最も高いコースを注文したのであった。その甲斐あって、スペシャリテの鮑のステーキに使われた肉厚の鮑は伊勢でしか味わえない素晴らしいものであった。でも本当は、鮑は刺身や水貝で食うのが好きなんだけどね。
<鱧(ハモ)>
鱧は昔から特に京都で夏の風物詩となっている。その理由は、鱧は生命力が強く玄界灘や瀬戸内海から京都まで活きたまま運ぶことができたからである。最もポピュラーな食べ方は『湯引き鱧』である。丁寧に骨切りされた鱧を湯通しして梅肉で食べる。骨切りは板前の腕にかかっており、専用の骨切包丁を使用して一寸(約3cm)の間に25の切れ目を入れる。湯引きに丁度良いサイズの国産の鱧は高価である。すり身などに使われる大きいものは激安だが、韓国産が多く出回っているので注意する。鱧の食べ方はいろいろあるが、私が一番好きなのは『鱧のしゃぶしゃぶ』である。京都の夏といえば、やっぱり鴨川の川床で、おねえちゃんと食べる鱧はさぞかし格別に美味しかろうねえ~。
<夏のお献立>
①愛知県伊勢湾産スズキの洗い
②三重県伊勢湾産イチミダイの刺身
③愛知県三河湾産アオリイカの刺身
④愛知県三河湾産スミイカ新子の握り
⑤愛知県三河湾産シンコの握り
⑥三重県鳥羽坂手島産の雲丹
⑦兵庫県淡路島産の雲丹
⑧石川県能登産生岩牡蠣のポン酢
⑨志摩観光ホテル・伊勢産アワビのステーキ
⑩京都鴨川でおねえちゃんと食べる瀬戸内産鱧のしゃぶしゃぶ