鎌倉幕府が誇る最強の文官トリオと頼朝の傍若無人

2022年3月27日(日)NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第12話「亀の前事件」が放送されました。

亀の前事件そのもの(いわゆる「後妻打ち<うわなりうち>」)についてはたくさんの方がブログや動画であげているので、本エントリーではそこについてはあえて深掘りしません。

ただ、記録上の歴史的事象としては後程、正しく記述しておきたいなと思います。

表面上は和やかな「建前的」な北条家の団欒

今回、オープニング明けは阿野全成(演:新納慎也)実衣(演:宮澤エマ)の婚約承認からの北条家の一家団欒から始まります。そして鎌倉のミイさんこと実衣さんが言語地雷をたくさん爆発させます。

本音を誰も語らず、建前を空々しく語っているのがより空虚な響きを醸し出していました。

そしてその会話の中で、視聴者の皆様に後々まで覚えておいて頂きたいフラグが立っておりました。

義時が江間の地を拝領して江間小四郎義時と名乗ったことで、実衣が放った一言の爆弾がそれです。

実衣「で、北条の家は誰が継ぐんですか?」

『鎌倉殿の13人』第12話「亀の前事件」5:30頃

これを受けての後の流れは

時政「北条を継ぐのは小四郎(義時)に決まっておる」
りく「今のところは」
政子「今のところ?」
りく「私が男子を産めばもちろんその子が……ねぇ」
時政「そう……なる……かな?」
政子「それでいいの?」
義時「私は別に」
政子「あなたはそういう人だからいいかもしれないけど、私はちょっとねぇ……」
りく「こちらは私が産んだ子では不満だとおっしゃっているのかしら」
政子「そうは言ってませんけど」
りく「正室たる私の子が後を継ぎ、それを小四郎が支える素晴らしいではないですか」
頼朝「北条はこの鎌倉の要石じゃ。その家督は鎌倉の一大事。軽々に話すことではない」

『鎌倉殿の13人』第12話「亀の前事件」5:41から

りく(演:宮沢りえ)にはこの後、男子(北条政範)が生まれ、それをめぐって大事件が勃発します。その布石ともいえる発言になるかと思います。

ただ1つだけ、りくが間違っていることがあります。
小四郎の母は伊東祐親の娘であり、当時の時政の正室です。

このりくの言い方だと、小四郎はまるで側室の子どもみたいに思われますが、全く違います。

鎌倉幕府文官トリオの登場

今回新たにドラマに登場したのは武士ではなく公家の3人でした。
そしてこの3人は全員「13人」のメンバーです。

ドラマの中で頼朝(演:大泉洋)は「三善康信(演:小林隆)の推挙により」と言っていましたが、個々人それぞれ事情があります。

ただはっきりしているのは、鎌倉を政庁として機能させるにあたって、この当時は軍事・警察は侍所が統括、管理していますが、その他の政務全般を見る役所も人もいませんでした。

ここに出てきた三人はその政務全般を見る人間であり、鎌倉幕府における最初の文官御家人です。

順にご紹介しましょう。

大江(中原)広元(おおえのひろもと)

大江広元(安芸介/演:栗原英雄)
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大江広元の出自は諸説ありますが、「吾妻鏡」を基準とするならば、河内源氏棟梁・源義家(八幡太郎)に兵法を伝授したと言われる大江匡房の曾孫にあたります。

広元の母親が中原広季という公家に再嫁したため、広季を養父とし、中原姓を名乗りました。

彼が大江姓を名乗るのは、西暦1216年(建保四年)4月のことですが、このドラマでは最初から大江で通した方がわかりやすいと思われたのではないかと。

彼は1184年(元暦元年)に設置された一般政務と裁判機能を併せ持った「公文所」の別当(長官)となり、養父の実子である中原親能や、藤原行政(のちの二階堂行政)などと共に幕府の政務全般にあたります。

公文所は、頼朝の官位が三位以上になった時を以て「政所」に昇格し、広元らの公文所スタッフはそのまま政所スタッフに移行しています。

広元は、多分このドラマの中の最大のクライマックスである「承久の乱」において、鎌倉幕府側が勝利する大きな役割を果たします。お楽しみに。

余談ではありますが、広元の四男・季光は相模国毛利荘(神奈川県厚木市)を相続したことから「毛利季光」を名乗ります。その三代後の毛利元春安芸国吉田荘(広島県高田郡)に下向したことで、戦国大名毛利氏の祖となっています。

中原親能(なかはらのちかよし)

中原親能(斎院次官/演:川島 潤哉)
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大江広元の養父・中原広季の実子です。

親能は幼い頃相模国で育ち、その時に頼朝と親しくしていました。その後は京都に上り、源雅頼(村上源氏の一人/「水鏡」の作者と言われる)の家人として仕えていました。

頼朝の挙兵が平家に伝わり、検非違使が親能を尋問しようと雅頼の屋敷に踏み込んだ際に親能はすでにおらず、鎌倉に逃亡していたと言われます。

また、大江広元を鎌倉に呼び、頼朝に推挙した人間でもあります。

非合法政権である頼朝の「鎌倉幕府」の存在を朝廷に認めさせるように工作したり、義経が率いた軍勢の対公家・朝廷の窓口と対外交渉を一手に引き受けるなど、対外交渉力に目覚ましい活躍をします。

余談ではありますが、豊後大友氏の初代である大友能直は、父の死後、母親が親能の妻と姉妹であったことから、親能の猶子(相続権のない子)となって一時的に「中原能直」を名乗っていたことがあります。

藤原行政(ふじわらのゆきまさ)

藤原行政(主計少允/演:野仲イサオ)
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三人の文官トリオの中で一番謎の多い人物が彼です。

一応、父は工藤行遠で、母は藤原季範の妹(すなわち頼朝の母・由良御前の叔母)と言われています。

系図的におかしな部分は多々あるのですが、整理すると、父・行遠は京で殺人事件を起こして尾張(愛知県西部)に流罪となり、そこで熱田神宮の宮司・藤原季範の妹と関係を持ち、その間に産まれたのが行政というのが通説のようです。

頼朝にいつから仕えているのかはあまりわかっていません。
(私が知らないだけかもしれませんが)

行政は、公文所設立以後、鎌倉の政務、税務全般にあたっています。
建物の建設指揮、修理修繕、訴訟事などの事務処理能力、そして軍奉行として合戦にも従軍するなど文官としては極めてイレギュラーな存在です。

最終的に政所別当が複数になった際に、別当に昇格し、広元不在時に政所を取り仕切るなど彼の実務能力の高さを物語っています。

1192年(建久元年)11月に永福寺(神奈川県鎌倉市二階堂)の周辺に邸宅を構えて以後、二階堂の姓を名乗るようになります。

以後、二階堂氏は代々鎌倉幕府の政所を司る存在となり、それは室町幕府(足利幕府)の時代でも引き継がれていきました。

この3人は鎌倉幕府の政務機構を整備していきます。
ぶっちゃけて言えば、公文所(後の「政所」)問注所等の整備です。
いわば鎌倉幕府の行政を司る3人なのです。

比企能員(ひきよしかず)いよいよ御家人デビュー

比企能員(通称:藤四郎/演:佐藤二朗)
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これまでもちょいちょい出ていましたが、ようやく比企能員が御家人の列に加わりました。

能員が若君の傅役(乳母父)になった件は「吾妻鏡」の1182年(寿永二年)10月17日の条にこうあります。

御台所(政子/演:小池栄子)と若君(万寿、後の頼家)が、比企館から大倉御所へ帰ってきました。

佐々木四兄弟が若君の輿を担いできました。小山宗政が若君の弓矢を掲げ、小山朝光が刀持ちをしました。比企能員は、乳母父(めのと)としてお祝いの品を贈りました。

能員の義母(比企尼/演:草笛光子)は、頼朝が生まれた頃、頼朝の乳母を務めていました。永暦元年に頼朝が伊豆へ流罪となった時に、頼朝に忠誠を尽くすため、比企尼の夫(比企掃部允)が武蔵国比企郡代官となって坂東に下り、治承四年の秋まで二十年間も仕送りをしていました。

頼朝は

「私もこのような立場になったのであの時の奉公へのご恩返しがしたい。何が良いか」

と比企尼に聞いたところ、

「甥の能員を若君の乳母父にして頂きたい」

と推挙したため、能員が若君の乳母夫となりました。

『吾妻鏡』巻之二寿永元年辛丑 

比企能員は比企尼の甥で、比企尼の猶子(養子)ですが、比企尼には3人の娘がいました。この3人の娘もそれぞれ今後の歴史に微妙に関わってくるので列記します。

長女・丹後内侍

父親は(はっきりしたことが)不明ですが、島津忠久(薩摩島津氏初代)を産んだ後、安達盛長(演:野添義弘)の妻となり、その関係で盛長は頼朝に仕えることになります。

頼朝に大事された女性とされ、その関係で丹後内侍を母とする島津忠久や安達景盛、安達時長は頼朝の御落胤の噂がでています。

次女・河越尼

武蔵国入間郡河越荘(埼玉県川越市)の領主・河越重頼の妻です。
河越氏は秩父平氏の嫡流で「武蔵国留守所惣検校職」(武蔵国の武士を全て指揮統括できる強力な軍事権限)に任じられていました。

また兄である能員が乳母父となった関係で、頼朝と政子の嫡男・万寿(後の頼家)の乳母となり最初の乳付けの儀式を行なっています。

その後、娘(郷御前)が源義経の妻となりましたが、平家滅亡後、その義経が謀反を起こすと連座で罪を問われて所領没収。さらに夫と長男は頼朝に誅殺されます。

しかし頼朝はこの判断を悔い、2年後の1187年(文治二年)に河越荘を河越尼に与え、さらに次男・重時に河越氏を再興させました。

三女・謎の女性(本名不明)

伊豆国伊東荘の領主・伊東祐清(演:竹財輝之助)の妻です。
祐清の妹が頼朝と関係を持って千鶴丸を産んだ事に激怒した祐親(じさま/演:浅野和之)が、頼朝を殺そうとした際、祐清の命で密かに伊東館を抜け出して頼朝に危機を伝えた女性です。

また工藤祐経(演:坪倉由幸)に殺された祐清の兄・河津祐泰(演:山口祥行)の遺児も引き取っています。

祐清と死別した後、河内源氏庶流・平賀義信に再嫁し、姉同様に万寿の乳母を務めました。

平賀義信とこの女性の間に生まれた平賀朝雅は、北条時政とりくの間に生まれた娘を妻にします。これが後に大きな火種になるのですが……それはまた別のお話です。

本当の亀の前事件

亀の前事件はいろいろと言われていますが、「吾妻鏡」で関連する記述は以下の通りです。

西暦1182年(寿永元年)11月10日
このところ、頼朝は自分の妾「亀の前(演:江口のりこ)」伏見広綱の飯島(逗子?)の屋敷に住まわせていました。

しかし、この事が御台所(政子)にばれてしまい、御台所は激怒しました。それは時政の後妻の牧の方がわざと御台所に教えたのが原因です。

で、今日、御台所が牧宗親(演:山﨑ー)に命令して、広綱の屋敷を破壊させ侮辱を与えました。広綱は亀の前を連れて、大多和義久(三浦氏庶流/三浦義明の子)鐙摺(神奈川県三浦郡葉山町)の屋敷に逃げました。

『吾妻鏡』巻之二寿永元年辛丑 

同年11月12日
頼朝は、牧宗親を呼び出して供を命じ、フラッとやってきたという建前で、大多和義久の鐙摺の家を訪れました。

頼朝はそこで屋敷にいた伏見広綱を呼び、おとといの出来事の説明を求めました。広綱は丁寧に一部始終を説明しました。

次に、頼朝は宗親を呼びつけて詰問したところ、宗親は弁明することが出来ずにしどろもどろになって、土下座状態に追い込まれました。

頼朝は、宗親の態度に怒り、その勢いで宗親の髻(もとどり)をつかんで切り落としてしまいました。

そして、頼朝はこう言いました。

「御台所(政子)のことを大事に考えているのは誠に以って神妙である。よって御台所の命令に従うのも理解できるが、なぜ、この事を前もって私に告げなかったのか。私の了解を得ず、勝手に亀の前に恥辱をあたえることは、私を無視した行為だ。これは私に対する反逆だ」

これを聞いた宗親は泣き泣き飛び出して行きました。
そして頼朝様は今夜も亀の前の所にお泊りです。

『吾妻鏡』巻之二寿永元年辛丑

同月11月14日。
夜になって頼朝は鎌倉へ帰りました。しかし、時政は急に伊豆へ出かけました。これは、頼朝が宗親を成敗したことに激怒されたことが原因です。

頼朝様はこの事を聞いてさらに激怒されました。そこで梶原景季(梶原景時の嫡男)を呼び出し、こう言いました。

「義時は温厚な性格。たとえ父(時政)が間違いの恨みを持って、暇乞いの挨拶もしないで国許へ帰ったとしても、義時は鎌倉にいると思う。これを確かめてきて欲しい」

半時ほどして景季戻ってきて

「義時殿は国へ帰ってはいません」

と言いました。

それ聞いた頼朝はもう一度景季を行かせて義時を呼び出しましたので、義時は頼朝様の所へ参りました。頼朝様は判官(文官:藤原邦通)を通じてこう言いました。

「宗親がとんでもないこと(うわなりうち)をしたので、罰したところ、北条時政は面白くなくって伊豆へ帰ってしまった。これは私の趣旨に反している。そなたは私の思うところをちゃんと理解して、時政の国下がりに従わなかったので、殊勝だと思っている。今後、私の子孫を守ってくれることであろう。この手柄を後日与える」

といいました。
義時は特に良い悪いを言うことなく、ただ、「ありがとうございます」とかしこまって受ける旨を表して屋敷へ引き上げた。

『吾妻鏡』巻之二寿永元年辛丑

これが「吾妻鏡」に書かれた「亀の前事件」の顛末です。
「吾妻鏡」は原則、鎌倉幕府や北条氏を贔屓目に見ている記述が見えるので、この話は「義時すごい」の演出のような感じがします。

ドラマだと1番のとばっちりは髻を切り落とされた牧宗親のように見えますが、1番のとばっちりは頼朝の命令で亀の前を保護したのに屋敷を壊されたのは伏見広綱でしょうね。

なお、広綱はこの翌月、政子によって遠江国(静岡県西部)に流罪となります。まさに踏んだり蹴ったりです。

それにしても、驚くのは「吾妻鏡」11月12日の条の最後です。

「そして頼朝様は今夜も亀の前の所にお泊りです」

屋敷打ち壊されているのにようやるわと(呆)

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