地方新聞社にメディアモラルはあるのか?
今回のエントリーのテーマは宮崎県延岡市で始まろうとしている「空飛ぶクルマ」事業についてです。
この事業について地元新聞社である夕刊デイリー新聞社が事実と違う報道を行い、自治体の首長ならびに多くの市民から批判を受け、編集局長が更迭される事態になりました。
この問題は、延岡市長である読谷山市長と延岡市議会の軋轢が根っこにあります。
その事を踏まえて、本件ならびにメディアとはなんなのか、そしてどうあるべきかをまとめたいと思います。
宮崎県延岡市が抱えている課題
宮崎県延岡市は宮崎県の北部の最大規模の都市です。
宮崎平野の北側に位置し、山間部も多いため、住民の救命搬送において大きな課題を抱えていました。
しかし、宮崎県のドクターヘリは宮崎市に設置され、基地病院から15分圏内しか適用されません。大分県の大分大学医学部附属病院、ならびに熊本県の熊本赤十字病院も同様となり、延岡市はいずれのドクターヘリの範囲にも入らない、空白地帯になっていました。
そこで、延岡市長である読谷山市長は、市民の助かる命を大幅にふやすための「空飛ぶクルマ」も見据えた救急搬送システム構築プロジェクトを、国の「デジタル田園都市国家構想推進交付金(デジタル実装タイプ TYPE2)」を申請し、九州で唯一採択されました。事業費はおよそ3億円です。
本事業が国に採択されたということは、国が事業費の95%を補助するということが確定したということです。
あとは延岡市側が負担する事業費の5%が議会承認を得られれば、事業スタートの障害はなくなるはずでした。
延岡市議会の反発
読谷山市長は6月議会でこの事業を含んだ補正予算を延岡市議会に提出しました。しかし、一部の市議会議員から費用を削除した修正案を出され、その修正案が可決されたため、市長自身が「再議」を申し立てる事態となっていました。
これにより7月11日に臨時議会が招集され、再議が行われた結果、再び否決される事態となります。
夕刊デイリー新聞社の誤報
読谷山市長は7月31日に再度臨時議会を招集し、3度目の採決に挑みます。
結果、三度目にして見事可決されました。
この可決には、立憲民主党および公明党の市議が市長の提案に賛成したことが大きかったようです。
その31日に開催される臨時議会に関し、県北唯一の新聞社である夕刊デイリー新聞社は29日、このように報じました。
読谷山市長の「空飛ぶクルマ事業」の事業費は1億180万円です。
それを夕刊デイリー新聞社は10億180万円と報じました。
実際の予算額の10倍の金額を記事に掲載したわけです。
これには多くの市民が反発しました。それ以上に怒ったのが読谷山市長本人でした。記事が出た翌日30日に延岡市長の名前で夕刊デイリー新聞社に抗議文書を送っています。
夕刊デイリー新聞社が取った「てへぺろ」謝罪文
夕刊デイリー新聞社がこれらの市民の批判や市長からの抗議をどのように受け止めたのか。その真意はわかりません。
わかりませんが、とりあえず市長が抗議をした翌日31日の夕刊デイリー本紙面ではこのような記事が掲載されました。
この記事には読谷山市長の抗議内容1から4について、夕刊デイリー新聞社の見解が左下の枠内に記載されています。その部分を抜粋します。
さて、皆さんは上記の「おわび」をどのように読まれたでしょうか?
私は「間違ったことは事実だからとりあえず詫びとこう」という考えのもと、このような文章になったのだと推察します。
なぜなら、この文章には①から④に至るまで、なぜそれが起きたのかの経緯説明が全くないからです。
メディアが誤報を報じたということは、間違った情報が伝達されたことになり、市民に間違った認識を与えます。特に本件は市長と市議会の確執というデリケートな問題を孕んでおり、メディアとしても片手落ちにならないように慎重に取り扱うべきものです。
しかし夕刊デイリー新聞社は市長から抗議された事実についてのみ詫び、その経緯や再発防止に関しては一切何も報じておりません。
それどころかメディアにおける両論併記の原理原則を理解しておきながら「慎重さ、配慮に欠けていました」とは言語道断です。
そもそも新聞記事に慎重さ、配慮にかけるというのはどういう意味でしょうか?問題となった29日の記事の内容は、延岡市民ではない私が見ても一方的な主張(市長提案がいかに無謀でいかに無駄か)を掲載されているとしか読めませんでした。
それが慎重さ、配慮に欠けていた結果だとしたら、夕刊デイリー新聞社は明らかにある一方の勢力に加担していたと自ら白状しているようなものです。
(慎重さや配慮に欠けていなかったら、中立的な記事が書けていたわけですよね)
これは市長はもちろん、市民に対しても「てへぺろ」的な文章で済ませているとしか私には思えませんでした。
夕刊デイリー新聞社の釈明文
夕刊デイリー新聞社の前述の「てへぺろ」的文章は、さらに多くの延岡市民を怒らせました。そしてついに、夕刊デイリー新聞社は8月1日の夕刊デイリー本紙で一連の記事掲載について、正式に釈明せざる得なくなります。
最下段の「記者手帳」を拡大します。
上記「記者手帳」の写真の文面を文章として抜粋します。
読みやすいように適宜改行をいれることをお許しください。
まず、「記者手帳」というコラム欄でお詫びを書くということ自体にセンスを疑います。ここは編集局が自由に書ける領域です。おそらく別途お詫び記事を掲載するのが面倒か、したくなかったので、こんな記事の最下段でのお詫び文章となったのだと思います。
次に予算の数字の間違い(7月29日付3面)についてです。
誌面では
としていますが、なにが「まさか」なんでしょうか。
私が集めた情報によれば、夕刊デイリー新聞社はもともと市長の施策に反する記事表現が多く、それは多くの延岡市民が感じていたようです。
今回も「わざとじゃないのか」という意見があったようですが、そういう意見がもたらされるということは、そのように見られるような記事表現をこれまでしてきた1つの結果だと思います。
今回、意図的かケアレスミスかはともかく、購読者に「意図的に仕掛けたのではないか」と思われる時点でメディアとしては恥ずかしいことだと認識すべきではないでしょうか。
三つ目の市長の厳重抗議(7月31日付3面)についてです。
という市民からの意見について編集局は
と述べています。
記事は市長の抗議文の主要項目をすべて掲載しているので、「厳しいご意見を頂いた」という表現は、正しいかもしれません。
しかし、市長から指摘のあった計4項目についての編集局の見解文は、とても「厳しいご意見を頂いた」と思えるような表現ではありませんでした。
おそらく自治体の首長が言ってきてるのと、間違いがあったのは事実なんで、とりあえず謝っておこうという感じだったと私は思いました。
それはつまり「首長を舐めている」のと同じ意味です。
自治体の首長は自治体内有権者の直接投票で選出された人間です。
その人に対し「これぐらいでいいだろ」みたいな文章で終わりにしようという魂胆が、尚更延岡市民の怒りへの燃料投下になったのではないでしょうか。
そしてその後に続く
そのような意図があったかなかったか、それは当人しかわからないので、そこの真偽は脇に置きます。
これについては、夕刊デイリー新聞社のこれまでの論調から、そのように購読者が受け止めてしまったと考えるのが自然でしょう。
つまり購読者にそう思わせた時点で、メディアとしては失格だと思います。
夕刊デイリー新聞社の社内処分
夕刊デイリー新聞社はこの「記者手帳」の上段に、今回の件の社内処分記事を掲載しています。
社内処分記事はこれだけ大きく乗せておきながら、肝心のお詫びの謝罪文は記者手帳というのも、意味不明です。
処分内容は
となっていますが、順番が違うと思います。
まず記事を書いた記者が一番重い処分を受けるべきだと思います。
その上でその記事を通して(承認して)しまった、編集委員長や編集局長の処分でしょう。
譴責処分は始末書いて厳重注意です。
報酬カットでも職務を解かれるわけでもありません。
この4人の中でもっとも軽い処分です。
記事を書いた張本人がもっとも軽く、その上の人間が降格処分とはどういうことでしょう?夕刊デイリー新聞社の人事規程はどうなってるのでしょうか?
ただ、社長の報酬カットは会社の代表者しての責任ですので妥当だと思いました。
まとめ
マスメディアの中で新聞事業には放送法のような法律はありません。
しかし、多くの人に情報を提供するということに変わりはありません。
事実は事実として正しく報じる必要があること。
意見の対立があるものは両論併記すること。
これはメディア報道の基本中の基本だと考えております。
その点からみれば予算の額の桁が間違っていたことは虚偽の事実を購読者に報じてしまったわけで、これはメディアとしてはかなり痛い事案です。
さらにその事案で市長と市議会が対立しているわけですから、極めてセンシティブな事案だったわけです。この記事1つだけとっても「夕刊デイリーは市長を貶めようとしている」と思われても致し方ないと思います。
それは市長の抗議文章に対する編集局の反論文の稚拙さ(31日付3面)にも表れていると思います。
あんな人を小馬鹿にしたような文章で幕引きを図れると本気で考えていたなら、夕刊デイリー新聞社の国語力は致命的な低さだと思います。
記者やスタッフの国語力のレベルは、そのまま記事のレベルにダイレクトに反映されます。つまり夕刊デイリー新聞社のスタッフにはもっと教養が必要ということです。
もっとも、あの程度の表現力しかなくて新聞事業を営んでいること自体が私には理解できませんが。
今回の一件は、宮崎県北部の唯一の新聞社である夕刊デイリー新聞社がいかに愚かしい会社で、新聞事業を行う会社としては、あり得ないほどレベルが低い会社であることを露呈させたと思います。
これから先、どのような精進をなさるのか、延岡市民ならびに購読者の皆様には、注視していただきたいなと思いました。
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