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鈴木 康允 さん(ポンちゃん)の記憶

この文章は、ギタリスト鈴木 康允さんについて述べるものです。
作中は、「ポン先生」と表記します。
自分にとって大きな存在で、なかなか端的な文章にはなりにくいです。
なので、まずは略歴、要約のように、できるだけ淡々と書いていきます。
暫くは追記や編集が入る事をご容赦ください。


【略歴】

1929年ー2009年(3月30日)
日本のギタリストで、戦後最初期のジャズプレーヤー(中牟礼さんより少し年上)。
"クレージーキャッツ"の前身である"キューバンボーイズ"のギター担当でもあり、後任は植木 等さん。
かなり若い頃からギタリストとして活動を始め、銀座クラブでのソロ演奏や、アンミュージックスクールで後進の指導に携わるなど、長い期間都内で活動。
50代で拠点を茨城に移し、「知る人ぞ知る演奏家」と化す。
初リーダー作は、74歳でレコーディングした”Love and Respect”(2004年)。
2007年に演奏活動を引退、2009年没

【演奏スタイル】

・トリオか、それよりも小編成での演奏を好みます。
・音数は少なく、速弾きはしない(できない)一方で、透き通るように上質な響きが特徴。
・コロっとした音色が好き。
・ここからは筆者の主観が色濃い表現になりますが、大舞台は似合わないです。100人超えのホールとかよりも小さい規模で、生音も聴こえる位の音場が、やっぱり似合う。
もっと言ってしまうと、さらにお客様が少なめな時に、気付いたら聞き手の心の真ん中で、そっと響いている、そんな持ち味です。
・人によっては、水墨画(濃淡の世界)とか表現するし、中牟礼さんは、「肉に例えると和牛、そして種も"和"、それも特上」、のように表現されていました。一方、ライターの石沢さんは、「吟味された音を、ただただ拝聴」、のように評されていました。
筆者が言うなら、渓谷の清らかな水の流れ、でしょうか。
近くに「教会」、ではなくて「神社」がある。胸を張って大向こうに訴える、ではなくて、ごくごく身近で、品がある存在感だと思っています。

【エピソード】

・ジム・ホール
ジム・ホールは、来日時にポン先生の噂を聞き、ライブへ足を運んだそうです。
以後、ジムが何度も聴きに訪れた事で、ポン先生の存在は、海外のトッププレーヤーも知る事になった訳です(アッティラ・ゾラーやバーニー・ケッセルも来日時に訪れた)。
しかし何故か、ジム・ホールとは1曲も共演をしていないのです。
おぼろげながら、互いに敬意を持っていたように想像できます。
・都内での活動期
銀座のクラブでは、各界の著名人との接点があったそうで、有名女優の有馬稲子さんに気には入られ、チークダンスを踊ったり、ごそっとチップをくれたりというエピソードがあります。
・笠井紀美子さん
音楽について、本当に子供のように純心です。
笠井紀美子さんには、ある時辛辣なコメントをしました。先生本人から聞いた所によると、「あなた音程が悪いから、歌を辞めて京都へおかえんなさい」という趣旨(たぶん、ごく平易な口調で言ったと思う)。
後に笠井さんは突然歌手を引退しますが、上記の真偽や関連性は解りません。
・水戸でジム・ホールと
ジム・ホールが水戸で演奏した事があり、宿泊した三の丸ホテルのロビーで、コーヒーを飲みながら会談した。「***の譜面が欲しい」と口にしたら、ジムは部屋に五線紙を取りに戻り、一生懸命譜面を書いて渡してくれた。
うちに来るかと言ったら「交流は良い事だ」とか何とか言いながら、自宅を訪れたそうです(どうも、おもてなしとかしなかったっぽい)。良い通訳がいなかったらしくて、残念。
こんな感じで、ジムよりも一つ先輩だからって、まあまあじゃけんに扱っています(笑)。聞いてる方が怖い位なんですが、ある時「全て分かっている人(ジム)が何度も足を運んで来れた」と語っているんです。それもあって、一線から退いても良い気になったらしくて、ジムの事を最大級に高く評価していた事が解ります。
・クルマ
70代になってから急にスポーツタイプのクルマ(CR-X)に乗り換えたのですが、選んだ理由を訊くと「CD(オーディオ)が付いてたから」と言ったとか。たまたま試乗車のカーオーディオが(当時高級な)CD対応だったらしい!(笑)
・Blue Note Tokyoのジム・ホール
2000年代にBlue Note Tokyoのジム・ホールライブを聴きに行った際、ジムはMCで「ポンちゃんに向けて」とか言ってAll The things You Areを演奏したそうです。しかし、ライブ後に周囲が楽屋へ挨拶するように勧めてもプイッと帰ってしまう。
どうも、当時のジムの演奏スタイルが難解で気に入らなかったのです(驚)。
・エド・ビッカート/ヘレン・メリル
先生は、カナダのギタリスト、エド・ビッカートさんを、とても高く評価されていました。
ジム・ホールはポール・デスモンドにはエドを紹介しましたが、どうもヘレン・メリルにはポン先生の事を話していたっぽいのです。
先生がヘレン・メリルと録音した事があるみたいな事を仰っていたのと、中牟礼さんがライブのMCで、ヘレン・メリルからポンちゃんの事を訊かれた、、、なんて話していた事から、確度は高いと思われます。
・キース・ジャレット
キース・ジャレットは、かなりお好きでした。先生の定番曲「The Old Country」は、キースの演奏が気に入って始めたのだと思います。先生の場合、アタマが2小節目からですが。
・はかなさ
時々、「ぼく、全然自信は無い」と口にされていたのですが、これは本当です。大きめなホールで演奏の時などは、リハーサルの前後でずーっとギターを触っている。心配なんですね。本番が始まる頃には、手が疲れちゃってると、そんな風なんです(笑)。

本番前、気が付くとソデでギターを弾いている先生(笑)

なので、ポン先生の音世界を本当に味わうならば、小さめなハコで、かつお客様が少ない時なんです。そこで奏者をガン観したりせず、視線をそらしている。
これで、全身に沁み渡るような極上の世界を堪能出来るのです。
何だか、山の精霊に会いに行くような心構え、ほぼこれですね(笑)。

【使用機材】

ギターはES-175で、ご自身で塗装したものです。
鳴りすぎだったので、何度も重ね塗りしています。
弦のゲージは0.11で、3弦はプレーン弦を使用。
アクションは低めで、フレットも低め。
フレットはご自身で削っていますが、驚くべき事に、
ロッドを緩めるという事はせず、感覚だけで整えていた
のだから、凄いです。
でも、正直リペアマン泣かせだったとか、なかったとか(笑)

ジャズスポット・サムシングにて

ピックも、自身でカスタマイズしていました。
習いに行って、貰ったギタリストは多い?

スペシャル加工ピック

【筆者との接点】

晩年の6年近く、トリオ演奏に横入り、押しかけ共演しました。
遠方から慕って来られた様々なミュージシャンとの演奏や、2度あったレコーディングの様子も、リアルタイムで体験しました。
(当時の記録は、スマホ用ページに改変中、読みにくいです)

http://siafkin.kan-be.com/pon/index.html

Love and Respect レコーディング(2003/9/4)

【動画】

【動画】※ここ数年、命日に作成しています。
https://www.youtube.com/playlist?list=PL8l90y_laj0TZXxNJLpHTOXCCtrL-Ork5

【最後に】

筆者は、こんな風に思います。

NYと日本で、かなり距離感があった時代。
勿論、殆ど情報は無かった頃。

この国では、0.1%くらいの確率で、先生のように極めて純度の高い結晶が生まれ得たんです。

有難うございました。

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