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寂しくなれるって素敵なことじゃん


夏単の感想ではありません。

生を受けてからおおよそごにょごにょ年(ゴニョゴニョ)
自分がそれだけ生きてきたとなれば、親や祖父母も当然それだけ齢を重ねるわけ。

昨年、祖母を亡くしてから道端で知らないおばあちゃんを見かけるだけで涙が出るようになった。

↑ばあちゃんとのお別れの話はこっちに。

そして今年もまた、悲しいお別れがあって。私が世界で一番大好きな人の内の一人である祖父が97歳で亡くなりました。ちょっとね、おばあちゃんのことも大好きだったけど、おじいちゃんは特別な存在過ぎたので、全然立ち直れてない。普通に。夢であって欲しい。


2023年8月

連日真夏日だった8月、夏組単独公演のため立川に通って、途中から全身緑ばばあになったりして本当に本当に本当に本当に楽しくて。今年は大好きなお友だちがほぼ毎公演いてくれたから寂しくもなかったし、夏休み期間すべてを夏組と過ごせて、Happyだった。
東京公演が終わった翌日、朝起きたら声が出なくて嫌な予感というかもうほぼ確信しながら病院に行き、某ウイルス陽性、夏休み延長が確定。
あのときはもう、このまま一生咳が出続けて一生元気になれないし、一生ひとりぼっちなのかも、とかネガティブになり。これだけウイルスについての認識が変わってる2023年でも周囲への申し訳なさとか、命について考えさせられるのに、流行り出した当初に感染してしまった人たちのことを思うと、またさらに絶望したりして、ネガティブスパイラルだったし。己を鼓舞出来なかった。

10日近くお休みをいただいて、やっと仕事復帰というタイミングで、母から祖父が危ないという連絡を受けた。もう今日明日レベルの話だと言われて、最期のタイミングでテレビ電話で一生懸命呼吸するじいちゃん(爆睡中)に「じいちゃん!じいちゃん!生きてる!」とだけ話しかけてテレビ電話は終わった。最期に一生懸命呼吸するじいちゃんの顔見られてよかった!生きてた!
つらすぎてお友だちに連絡して会ってもらった。感謝

おじいちゃんのお葬式のために、地元に帰る飛行機の中で、いつかこの日が来るかもしれないと覚悟をしていたつもりでもいざ現実になったときにどう受け入れていったら良いのか、人間が別れを経験して強くなるという話は嘘なのではないかと考えたりした。
別れを経験するたびに弱くなる。今目の前にいる人たち、家族、友だちのことを失いたくないという気持ちが強まって、どう大切にしていったらいいのか、残された人生の中で後悔の少ない人生を歩んでいくには、この別れと共に生きて行くにはどうしたら良いのか、悩んで悩んで、今の自分の生き方(東京出てきたこと、オタクしてること、家族と離れて暮らしていること)が間違っているような気がして落ち込んでいた。

まぁそんなことがあって、東京に戻ってきて、人生とは…とぐるぐる考えながら仕事してたタイミングで、夏組単独公演が立川に凱旋。

また全身緑ばばあになるとね、自然と余計なこと考えなくなるんだよね。もちろん忘れてるわけじゃないから、めちゃくちゃつらいんだけどさ、その瞬間、まさに「今、そのとき」を大切に過ごすとそれの積み重ねが未来になっていくわけじゃん(ポエム)
だからもうさ失ってしまった悲しみは絶対に消えることがないし、その悲しさ寂しさを抱えながら、今はもう夏組を見続けるのが最大の心の癒やし効果だなと思ったわけ。

父方の祖父は私が幼稚園のときに亡くなってしまったのでほとんど思い出も記憶も無くて、寂しいという感情も無いんだけど、今回亡くなった母方の祖父は私が生まれてからのおおよそごにょごにょ年たくさんの思い出をくれたから、その分つらくて寂しいんだよね。
こんなにつらくて寂しくなるなら思い出いらなかった?
どっちが良かった?
って自問したときに、夏組がね

寂しくなれるって素敵なことじゃん

って歌ってくれた。

まぁそういうことだよね。


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