#30 マナー・モード
自分が好きなものごとやひとというのはどうしても特別扱いしてしまうところがあるのが人なのかなという気がしないでもありません。昔、中学生なりたての頃に私は音楽に大変ハマりまして、友だち連れて吹奏楽部に入部しました。きっと文化系ではない、スポーツ関連の部活がしたかったであろう友だちを引き連れて入部した件は、高校生くらいになってから反省したこともあります。また本当に酷い話なのですが、その吹奏楽部で県大会出場を強く目指していた当時部長だった私は、なんと昼休みも練習するように部員に強制していたということがありました。更に、放送委員会も務めていた私は、当時大好きだったミュージシャンAの曲ばかり校内放送で流し、先生から「このクラッシックのCDの方を流すように」と迷惑な放送を止めようと暗にされていたこともあります。
自分がそれを好きだからといって、ほかの人がそれを好きだとは限らないということに気づけなかった馬鹿な子どもだった私は、高校大学へと進学する中で、なんと愚かな人物だったのだろうと懺悔の意味も込めて反省しておりました。ラーメンが好きな人も居ればカレーが好きな人も居るでしょう。また、ラーメンはラーメンでもコテコテの豚骨ラーメンが好きな人も居れば、さっぱりした塩ラーメンが好きな人も居ることでしょう。音楽に限らず、人――特に異性など――に対する好みだってあるでしょう。そういう、その人その人が好きなものごとやひとというものも尊重してあげられることが、自分と相手は違う人間なのだというところに繋がっているはずです。 今では、自分とは全く異なる性格や趣味の友だちとよくオンラインでコミュニケーションを取ることが多いのですが、それが逆に刺激になったり魅力に思えたりして、有難い交際になっていると感じられることが多いです。好きだから好きだから……、自分の好きなものごとやひとばかりになってしまうと自己中心的になりがちかも知れません。そういうときは、一旦自分の好きなそれらを置いて周りを見渡してみる必要もあるのでしょう。
昔からよく言えば無我夢中、わるく言えば視野狭窄するほどに、目の前の好きなそれらに没頭してしまっていたことが多かったです。しかし、自分と相手が違う人間である以上、相手に関心を向けるためには自分を一旦"マナー・モード"にでもして、世界を多様的または多面的にもっと捉えたいものです。