#37 人間関係をぼやく1
どうも内向的過ぎて、交流が下手だった過去の私を振り返りつつ、さすがに40年ほど生きてきて人間関係のこなし方といいますか、下手は下手なりにでもコツのようなものがみえてきた気もします(きっとそれも思い上がりでしょうが)。これまでもリアルでともに暮らす身近な人にやらかしたりやらかされたりしてきた私ですが、ちょっとその関係の頻度や距離の取り方がマズかったのかなという反省をしてしまうことも今更あったりします。また"人間関係の始まりは自分から(終わりも自分まで)"ということも真理のような気がしないでもありません。
さて、このまえ友だちと通話をしていたときに「社会を運営する側(大人)は、毎日が楽しくて幸せばかりのはずがない」というようなお話を聴いたのですが、なにかその言葉に救われた気もしました。電車に乗ってる大人たちが毎日楽しそうにそして幸せそうにしてるのをあまり見ないように、生きづらいというような雰囲気をただただ漂わせてるわけですが、それはある意味で当然なのでしょう。それは一つの大人/子どもの見分け方かも知れません。ただ、自分や他人に対して近視眼的になるのは化粧をするときだけでよくて、その名の通り人間関係をみるときにはもっと広がりと奥行きを持たせて捉えた方がいいと最近ますます感じられております。例えば、彼女に振られて凹んでるとか、上司とやりにくくて困ってるとか、なんとかいろいろ人間の悩みというものはまさに人間関係に収束しがちなのかも知れませんが、休息時にはかわいいペットと遊んで気分転換をしたり、休日には人間界から離れて、大自然のなか登山にでも出かけてみたり、いわゆるストレス発散が大切なのでしょう。そして、また元の人間関係に戻ってきたときに、小さな物事は大切にした方がいいけども、人は大きく大切にした方がよいとも気づいてきます。Aという人をaという側面だけで視ずに、bやc……でみられるようになるとか、あるいはAという人ばかりにこだわり続けずとも、世界は広く大きくてBさんやCさんも居る、果てはまだ出逢ってないXさんだっているのだという明後日の方向への関心も大切でしょう。
あぁ世界は広く大きいです。カレーが食べたい日もあれば、お茶漬けが食べたい日もあります。ですから、"自分というご飯"だけは日ごろから適切に扱えることが基本なのかなという変な結びでこの話は終わりにします。