#32 悪癖は断ちにくし
そういえば読書家と聞いて私は知恵の豊富な素敵な人をイメージするのですが、知恵が豊富なゆえに馬鹿になれず、挑戦やそれに伴った実践が苦手だという気難しい人をイメージしてしまうときもあります。まだ年末にもなっていないのにも関わらず、ここ数日私は自室の大そうじを始めているのですが、買ってからもう数年以上経過した本が山のように積んである自室のエリアで、いま呆然とそれを眺めながら考えておりました。比較的に本以外のものについては、売ったり捨てたりすることが得意なのですが、"知識は重要だ"という根深い価値観があるためか、本だけはそれらをすることが出来ません。自室からモノを減らして、スッキリ快適な暮らしが出来ることを望んでいるはずなのに、これではそんなミニマリストな暮らしも未だ遠い実感です。
これだけインターネットが普及した国や時代にあたって、知識の価値というものが暴落した印象がある中で、図書館に行けばもっと価値のありそうな本を読むことだって不可能ではないのですから、本を所有するというのは生き方か、あるいはファッションのようなものになりつつあるのかも知れません。今では、電子書籍や無料で読める濃い内容のウェブサイトだって探せばあります。そして何よりも、YouTubeやその類のサブスクのようなものに熱狂している人がとても多い印象があります。これだけ情報を得やすくなった、あるいは得ようと思わずともそれらが入ってくる時代になったということは、それはそれで弊害というものもあるのかも知れないとさえ考えてしまいます。ですから、この大そうじの際に思い切ってほとんどの本を売ったり捨てたりしてしまった方がいいのだろうかとさえ考えてしまいます(約10年前に1度すべて売ったり捨てたりしているのですが)。
本に価値があるというよりも、知識に価値がある。いや、知識ではなくそれが知恵や叡智にまで昇華されてゆくことに価値があると仮定するならば、本そのものに価値はないとも考えられます。そして、読書に逃避することによって、目の前の現実や人々の言うことを疎かにし過ぎているならば本末転倒かも知れません。また、叡智<知恵<知識になるにしたがって賞味期限と言いますか、すぐに風化したり使い物にならなくなることも多いです。
上手い話はできず終いとなりましたが、本やそれに伴った知識の収集癖については、私の悪癖なのでしょう。