#42 だれからも挨拶されない

 とても個人的な話になるのですが、歓迎されやすい人とそれをされにくい人って居ますよね?例えば、産まれてきたばかりの赤子は多くの人から歓迎されることが多いと考えますが、亡くなってゆく老人はそうではない気が多々するのです。
 むかし生徒学生の頃に、よく絵画コンクールなどで賞をいただいていた私は、人前で表彰されることが多く、自分の作品が褒められて認められてるのはわかるのですが、しかし私自身が褒められて認められていると感じることが少なかったのです。そういう感覚が以前からありまして、例えば私は人に挨拶することは多いが、私に挨拶をする人は少ないということにも、丁度その頃から気づき始めておりました。それで、社会人になってから街で出会う同級生や友人(と思っている人)に意図的に挨拶をしないで向こうから挨拶されるかなと計画実行しておりましたら、なんと同じ街に住んでるのに15年くらいほぼ誰からも挨拶されることがありませんでした(向こうから挨拶してくれたのは、元恋人と近所の人くらいです)。また、ここでは濁しますが、そこの商品を買った人には無料のサービスをしてくれるお店があるのですが、当時事情があって貧乏生活をしていた私は、寝間着みたいな格好でそのサービスを受けに行ったことがあります。その際に、サービスをしてもらってから「はい、帰っていいですよ」と真顔で言われたことがありまして、なんて不愛想な人なんだろうと感じて立腹したという体験があります。さらに、この店でまた大きな買い物をした際には、店員一同頭を下げて「ありがとうございました」と私ではなく私の支払った"お金"に頭を下げているというのが伝わってきたのです。これから言えることは、そもそも"私"というものは自分にしか感じ考えられない"無"に近しいなにかであり、社会では無には関心や認識を払われることが少ないのだろうなということでした。一方で、もっとリアルな話をしますと、ある都市でこれもまたその貧乏生活をしていたときに、みずぼらしい格好をして、高級ステーキ屋に入ったところ、席が空いてるのにも関わらず、「予約でいっぱいなんでお引き取り下さい」と断られた時がありました。つまり、社会では無ではなく"有"、それも社会的に信頼されているそれを持っていたり、纏っていると、お客あるいはときに"人"として扱われるということです。
 実に難しい話となりました。

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