#28 働くということ2

 先ほど、Xのトレンドに「#氷河期世代」という言葉が挙がっているのをみました。そのタイムラインを遡っていますと、某大手ニュース記事に辿り着きました。コメント欄を眺めていましたら、多くの人が現在の社会や制度などにまともな見識を持っていることに気づきました。私は社会に疎いのでしょうか、それとも斜めに構えてるのでしょうか、いや実際は蚊帳の外という気もしないでもありません。氷河期世代の最中、そしてその末端としても暮らしてきましたので、すでに既存の日本社会に諦めているところも多いのです。
 ところで、以前の記事で働くということについて書いておりますが、"働くことの大切さを忘れて稼ぐのはどうか"という結びだったと考えます。しかし、私は人生を諦めているというようなことはないのですが、既存の日本社会を諦めている節は根深いです。すでに宗教や政治、そして税金など納金制度を含む経済などの活動にあまり魅力を感じないというか、これらのせいで国民の、あるいはその人生が阻害されているのではないかとすら感じる部分があるからです。よく「仕事のために仕事増やしてどうするんだ?」というような言葉もありますが、納金するために働いてるのか?自分の身体で感じないために政治があるのか?そして、自分の頭で考えないために宗教があるのか?というような"オートマティックな暮らし"にやはり疑問を覚えるのです。もちろん、そういった社会の仕組みがあるからこそ、その恩恵を受けている部分はあるはずなのですが。
 昔から「衣食足りて礼節を知る」と言われますように、それは真理だなと感じることが、実際の私の暮らしでも確かに多いかも知れません。また、日本は海外と比べれば安心安全で、食も優れていて、とても暮らしやすい国というのは今ではわかります。ただこれはオーストラリアの例になりますが、約20年前に私がその地へ遊びに行ったときに感じたことは、日本人には人生、あるいは幸せというものが乏しく、オーストラリア人にはそれが豊かにあったという印象でした。その原因を反省しますと、日本人は働きすぎというか、そこにアイデンティティのようなものを求めすぎなのかなという印象です。仕事以外にも人生の分野はあるはずなのです。旧い社会の仕組みを変化させつつ、そこも豊かにしない限り、未来も明るくはない気がします。政府の進める「働き方改革」はその一つの表れでしょう。

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