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トーシツと結婚

 筆者はトーシツ(統合失調症、略記SZ)を患ってから、少なくとも20年は経っていると考えている。そのあいだ、あるいはそれ以前に正式に交際していた異性は片手で数えるくらいは居るが、どの方とも別れてしまった。もちろん、別れてもグズグズと復縁を繰り返すような異性というのも……(略)。そういえば、私が20代前半に交際していた異性で、そのまま交際していれば結婚していたのではないか?という方も居たのだが、トーシツの診断が下りたため、相談もなにもなく、すぐに無理やり別れてもらったという苦い体験をさせてしまったこともある。
 一般に、トーシツの診断が下った者は、"死刑宣告"を告げられたような実感を覚えてしまいがちなのではないかと予想するが、それもそのはず、例えば法律上の離婚要件として、

強度の精神病で回復の見込みがない(民法770条1項4号)

最高裁判所第二小法廷判決昭和33年7月25日 民集第12巻12号1823頁

 というものがあり、偶然それを知った私は衝撃を受け、ひどく絶望し、勝手に別れを当時の彼女に切り出してしまったのであった。もちろん、強度の精神病――すなわちひどいトーシツ――というわけではなかったのだろうが、回復の見込みがないというのは実に正しく、今後の一般的な意味での"よい人生"をそのような伴侶とともに歩めぬ実感をすでに10代後半から抱いていた私は、陰湿なできごとを自ら用意して、意図的に別れを仕向けてしまったのである。
 トーシツは遺伝傾向のある原因不明の精神障がい(精神病)であり、発症のしやすさ(なりやすさ)が約50~60%の確率で遺伝するとみたことがある。しかし、"発症するかどうか"は生育環境や本人の心境や習慣などの影響が強く、一般には例え親族がトーシツだったとしても、本人は3~10%くらいしか発症しないらしい(なお一卵性双生児間の場合は、約50%で高発症する)。確かに、なりやすさという点は遺伝傾向があることは確実に否めない。しかし、なるかどうか、つまり発症するかどうかだけに絞ってみれば、大して正の相関はないのであろう。
 就職して、結婚して、子どもを持って……。そういった、一般的人生の流れはトーシツを抱えていればかなりの難易度なのは承知であることは間違いない。しかし、実際にトーシツであっても就職している人も、結婚している人も、そして子供を持っている人も意外に居るものである。だから、とくに若いトーシツの人でそれらを強く希望している人がいるならば、私のように絶望することなかれ、それは誤解だからといま伝えたい。子どもにその"なりやすさ"は遺伝することはあるかも知れないが、"なる(発症する)"かといえば、その確率は決して高くはないからである。それに、現在は昔に比べて社会的認知も進んできており、トーシツやその他の精神障がいに対する世間の風当たりというのも柔らかくなってきていると感じる。諦めることはないのだ。例え、"自分と同じ苦しみを味合わせたくはない"という意味で子どもは作りたくないと考えていても、結婚やましてや就職ならば、できることならした方がしないよりはいいのではないかと考える(もちろん、そこには障がいへの配慮などがあることが望ましいが)。
 最後とはなるが、結婚は相手あってのものではあろうが、仮にトーシツであったとしても、ひとり勝手に絶望して、それを諦めてしまうのは今では明らかに間違いだと中年になって考えるようになっている。結婚したいという強い希望があるのならば、それが一般健常者の異性でなく、同じ障がい者の異性だって出会おうとするば出会えるのだから、諦めないで婚活なりマチアプなり、いろいろやってみればいい。せめて自分自身を自ら偏見や無知でがんじがらめに縛り付けることだけはやめて、自ら理解や共感を高め深めて、それを"求めるならば"積極的にただその道に邁進すればいいと今では強く感じている。
 今がいちばん若いのだ。結婚を諦め切れぬならさっさと行動して、成就させるなり、玉砕するなり、あるいは××するなり……、……しみじみと後悔のない何らかの結論を出してゆくことだと信じる。余計なお節介だったら、すみません。

 

了、25min.


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