#35 どうでもいい病
そういえば究極的には、なにに関しても〈どうでもいい〉と考えてしまう私が居たりするものなのですが、確かにそういった極限に近い意味においては、日常のささいなことから社会での大きなこと、そして案外お金のことなんかもどうでもいいな――それは一般的にいう「無関心」――というような態度や姿勢になりがちなのではないでしょうか。例えば、生とか4とかそういう極限の状況にあっては、どうも無価値になってしまうものごとというのがある気がするのです。大○翔平がまたホームランを打ったとか、自○党などの与党が過半数割れとか、最近の社会での出来事を振り返ってみても、多くの人が興味関心を示すものごとがありますが、そういった"ニュース"などに無関心になりがちなのは、社会のなかでの所属感や当事者意識というようなものが薄まっているからかも知れません。ちなみに、そういう感じ方をする人というのは10~20人に1人くらいは確実に居るみたいです。
自分のことすらも他人事のように、よくいえば悟って無為自然、わるくいえば怠惰で消極的みたいな態度や姿勢になりがちかも知れません。こういった態度や姿勢を露わにしがちな、"どうでもいい病"のこわいところは、それが自身の生活だけではなく社会生活上にて実害を齎すようになったときにハッキリとするかも知れませんが、往々にして日常の暮らしのなかでは人畜無害な変わり者として過ごせるでしょう。世の中にはいろいろな人が居ます。他者からは〈いつも自己に没頭していて無関心そうにみられる〉などという特徴になりそうですが、そのような人がもし"どうでもよくない"なにかに取り組んでいるとするならば、おそらくそれは人類にとって有益な大発見などに繋がる予感さえ出てきます。単純に怠惰ゆえに、あるいは消極的がゆえに〈どうでもいい〉でやり過ごしているのではなく、大袈裟にいえば自分自身の夢や現実、そして目標があるからこそ、それに邁進しているからこそ〈どうでもいい〉という態度や姿勢だとするならば、それはTPOを選んだ上で、尊重すべきものかも知れません。ほら、犬は犬でも子犬は〈かまってかまって〉と可愛く主を手こずらせますが、老犬に成ってきましたら大人しく過ごしているものではないですか。人間も同じで、ある一定の心境/環境を達成してますと、比較的に黙々と淡々と日常を過ごすような気がします。要は老いちゃんなのです。