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新しい伝統 戦時下ウクライナでのRUTA学会創立大会

保坂三四郎 (ICDS/ タルトゥ大学)
アンセルム・シュミット (タルトゥ大学)

2024年6月27日から30日にかけて、ウクライナ西部のザカルパッチャ(トランスカルパチア)地方の山岳地帯で、RUTA学会(中央・南東・東欧、バルト、コーカサス、中央アジアおよび北アジア研究のグローバル対話)の初の大会が開催された。このイベントには、500名以上のパネルとプレゼンテーションの応募者の中から選ばれた200名以上の学者や実務家が集まった。このエッセイでは、戦時下という前例のない条件下で行われた国際学術会議について個人的な印象と経験を共有し、我々が参加したパネル「ソビエト・ロシア情報機関:スラブ研究で見落とされた制度」の概要を紹介したい。 

カルパティア山脈での大会開催

RUTAの使命

ロシアによるウクライナへの全面的な侵攻に応えて設立されたRUTA学会は、従来の学術的認識論や地域研究の枠組みに挑戦する。大会のテーマ「内からの地域の再(知)識(Re(kn)own Region(s) from Within)」は、「ポスト・ソビエト」、「ポスト共産主義」、「ポスト社会主義」、「ユーラシア」、「ニュー・イースト」、「グローバル・イースト」などの地域ラベルを批判し、これらのラベルに隠された帝国主義的および植民地主義的視点に焦点を当てる。例えば、10年前、ロシアがクリミアを違法に併合した際、多くの学者がウクライナの歴史に対する不十分な知識のため、ウクライナを「兄弟国家」とするロシア中心の「ポスト・ソビエト」言説に乗り、ロシアの歴史的ナラティブを無批判に再生産した。RUTA学会は、ロシアのウクライナ侵攻前まで見過ごされてきた地域、国家、民族、そして人々の主体性を取り戻すための知的運動である。

2022年2月以降、欧州や北米で開催された複数の学術会議や学術誌の特集号では、「脱植民地化(decolonization)」、「再中心化(decentering)」、「再考(rethinking)」といったスローガンのもとで地域研究アプローチの再評価が試みられてきた。しかし我々の見解では、これらの議論の一部は、テーマを拡大しすぎて人種差別や文化的相対主義まで含むようになり、時にはロシアの「西洋」植民地主義批判のナラティブと一致することさえある。ウクライナでの大会開催は、こうした学術パラダイムの変化が、ロシアによるウクライナ侵攻、すなわち公然たる国際法違反と独立した欧州国家の主権と領土一体性の侵害をきっかけとしたことを再確認する意味がある。

戦時下での学術会議

RUTA学会は、ウジホロド(ザカルパッチャ地域の行政中心地)から車で1時間のリゾート施設で開催された。施設には会議ホール、宿泊施設、レストランのほか、自然歩道、サウナ、プールがあった。もちろん、なによりも大事な防空壕もある。

ザカルパッチャ地方は、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアに隣接し、ロシアのミサイル攻撃から比較的安全であるため、2022年のロシア全面侵攻以降、ウクライナの子どもや若者のスポーツや芸術の全国大会の開催地となってきた。ウジホロドの人口は、国内避難民の増加により、侵攻前の11万人から35%増加し、現在では15万人を超えている。多くの企業がキーウから移転し、高級アパートの建設を含む大規模な開発が進行中である。

しかし、戦争中においてザカルパッチャは「安全のフリーライダー」ではない。ウジホロドとムカチェヴォは、人道支援とボランティア活動の拠点である。2024年6月末時点、ウジホロドのカルヴァリア墓地には全面侵攻が始まってからの28か月間で134名の英雄が埋葬されていた。2014年から2021年までの犠牲者15名と比べると、現在の戦争の激しさを物語る。 

ウジホロドのカルヴァリア墓地。ロシア侵攻で戦死した地元出身の英雄たちの墓

本エッセイの著者のひとりアンセルムは、大会会場へバスで移動する途中、通りかかったトゥリヤ・パシカ村の墓地にロマの旗がはためているのを見逃さなかった。大会の合間、我々は自転車を借りてその墓地に向かった。それは、2024年3月1日、25歳の誕生日を迎える直前に戦死したオレクシー・ティルパク(Oleksiy Tyrpak)の墓であった。ウクライナ国旗とロマの旗の両方で飾られていた。会議施設のスタッフの一部もウクライナのために志願して戦ったオレクシーを知っていた。村を超えて多くの人々がオレクシーの死を悲しんだという。

カルパティア山脈のトゥリヤ・パシカ村出身のウクライナ軍のロマ人英雄、オレクシー・ティルパクの墓

RUTAの大会参加者は全員、会議の場所を明らかにしたり、ソーシャルメディアに投稿したりしないことを誓う秘密保持契約に署名した。自撮りや投稿をしたい気持ちがあるにもかかわらず、参加者たちは抑制し、投稿は会議終了後のみ許可された。大会期間中、空襲警報が鳴ったのは一度だけであり、ロシアのMIG-31Kの離陸が原因と思われる。ほとんどの参加者は避難をしなかった。というのも、こうした警報は訓練飛行や再配備のためであり、直接的な攻撃ではないことが多いからである。30分後には警報は解除された。

大会中の空襲警報時に避難所を求める参加者たち

ロシアによる3月から4月にかけての大規模な発電施設への攻撃により、ウクライナ全土で計画停電が頻繁に行われている。大会会場でも何度か停電が発生したが、発電機によって影響は最小限に抑えられた。ウジホロドでは、1日に3回、約3時間ずつの計画停電が行われていた。保坂は、午後11時にウジホロドに戻った際、宿泊先のホステルに電気がないことに気付いた。現在多くのウクライナ人がしているように、スマートフォンのライトを使って、暗闇の中でシャワーを浴びた。しかし、ほんの数百メートル先では、町の中心部は明るく照らされ、パブも営業していた。ウクライナは戒厳令で夜間外出禁止令が施行されているが、ザカルパッチャ州だけは例外であり、一部の店舗は深夜まで営業している。 

参加はリスクか、機会か

ほとんどの国が安全上の懸念からウクライナへの渡航を控えるよう勧告している。たとえば、日本の外務省は、ウクライナ全土に対して退避勧告を出している。大学の規定もこれに従うため、多くの学者はウクライナを訪れることができない。保坂は唯一の日本人参加者であるように見えた。ザカルパッチャを含むウクライナ中央部および西部への必要な渡航を許可する英国を除けば、ほとんどの国は一律に渡航を控えるよう勧告している。ある北米の著名な学者は、「RUTA大会に出席するために、大学の規則を少し破った」と話していた。

全面侵攻以降、戒厳令により成人男性はウクライナを離れることが制限されており、ウクライナの男性学者が国際会議に出席するためには複雑な手続きが必要である。その結果、北米や欧州の国際会議への参加はほとんどがウクライナの女性研究者に留まり、男性研究者の多くは国内で研究活動を続け、主にZoomを通じて国際会議に参加している。しかし、女性研究者であっても、戦時中に海外へ渡航することは危険であり、精神的にも厳しいものがある。そのような状況に対し、RUTAは、もしロシアが(全面侵攻によって)ウクライナ人研究者の国際会議への参加を阻むならば、ウクライナに大会を持ってくればよいと考えた。大会参加者の約半数は、現在国外に居住している者も含め、ウクライナ人研究者であった。したがって、戦時下ウクライナで初めて開催されたこの大会は、ウクライナの研究者にとってのアファーマティブ・アクションでもあった。

「軍の証明書を見せてください。」リヴィウからウジホロドまでの列車の旅は6時間かかったが、ウジホロド駅のプラットフォームに降り立った多くの男性乗客がこの質問を受けた。動員を逃れるためにザカルパッチャに来る男性が多いと報じられている。そのため、カーキ色の制服を着た10人以上の動員センター(TTsK)の職員がキーウやリヴィウからの列車を待ち受け、徴兵年齢の男性を止め、居住地の動員センターで情報が更新されているかどうかを確認していた。このような戦時中の困難にもかかわらず、ハルキウやキーウからの多くの男性学者がRUTA大会に参加した。 

ウジホロド駅で乗客の書類を確認するTTsK職員

兵士とのパネルディスカッション

RUTA大会ではさまざまな興味深いパネルがあったが、特に注目すべきものは「脱植民地化を超えた未来(The Future Beyond Decolonization)」というタイトルの兵士との対話であった。セーデルトーン大学(ストックホルム)のユリヤ・ユルチュク(Yuliya Yurchuk)がコーディネートし、現在ウクライナ軍に従軍する、左派雑誌「スピルネ(Spilne)」編集者のタラス・ビロウス(Taras Bilous)が登壇した。ビロウスは、ウクライナ兵がベトナム戦争で戦ったことに関するドキュメンタリーなど、スピルネのさまざまなプロジェクトを紹介した。

パネル「脱植民地化を超えた未来」 タラス・ビロウス(兵士、スピルネ編集者)との対話

ロシアによる全面侵攻を受け、ビロウスは多くの左派がウクライナのような国の政治的主体性を見過ごし、単に欧州とロシアの間の犠牲者として捉えていることを批判した。ビロウスは、ロシアの侵略行為に対するウクライナの抵抗を無視したり、NATOの東方拡大を誤解したりしている左派に共通する問題点を炙り出した。ビロウスは、全面侵攻を通じて自らの考えがどのように変化したかについて語り、聴衆からの質問に答えた。セッションは「ウクライナに栄光あれ、英雄たちに栄光あれ」という拍手と歓声で締めくくられた。

ソ連・ロシア情報機関と西側学界

我々のパネル「ソビエト・ロシア情報機関:スラブ研究で見落とされた制度(Soviet-Russian Intelligence: An Overlooked Institution in Slavic Studies)」は、ロシアの情報機関と西側学界の関係について取り上げた。スラブ研究を始めとする学界で長年タブー視されてきたトピックである。

オルガ・バートルセン(Olga Bertelsen;ティフィン大学)は、ロシア情報機関とシンクタンクの関係、ならびにパブリック・ディプロマシーを装った若者のリクルートについて報告し、ロシアの影響力工作に対する法的規制を提案する、非常に刺激的なプレゼンテーションを行った。セルゲイ・ジュク(Sergei Zhuk;ボールステート大学;バートルセンが代読)は、同人の新刊書『KGB、ロシアの学術的帝国主義、ウクライナ、西側学界 1946-2024(The KGB, Russian Academic Imperialism, Ukraine, and Western Academia, 1946–2024)』の一部を発表し、ロシア情報機関がソ連時代から現在に至るまで、どのようにして西側学界に影響を及ぼしているかを明らかにした。ジュクは、ロシア情報機関が北米においてソ連・ロシアの移民を「インフルエンス・エージェント」として活用し、ロシアのナラティブを米国学界で広めている事例を具体的な学者の名前を挙げて紹介した。アンドリー・コフート(Andriy Kohut;ウクライナ保安庁アーカイブ)は、KGBの対プロパガンダ活動、特に1980年代にハーバード・ウクライナ研究所のホロドモール研究を標的にした偽情報作戦、およびアジア・アフリカ諸国を対象とした反西側プロパガンダを紹介した。保坂は、ソ連崩壊以降も、情報機関が主要なロシアの大学に派遣し続けてるKGB-FSB現役予備将校の進化する役割を議論した。

討論者アンセルムは、複数の情報機関、特にFSBと軍事情報機関GRUの役割分担について問題を提起した。聴衆からは、学術的批判と個人攻撃の境界線に関する質問、ソ連時代のコミンテルンのようにさまざまなフロント組織を通じてロシア情報機関がイデオロギーを輸出していることの指摘があった。

パネルでは多くの重要な問題が提起されたが、次の点に要約できる。

  • 西側学界は、ソ連時代から一貫してロシア情報機関にとって重要な標的であり、その手口はほとんど変わっていない。

  • ロシアのFSBアーカイブが閉鎖されたことを受け、ロシア国外の旧KGBアーカイブの文書は、現代ロシアと西側学界の関係を批判的に研究するための重要な視点を提供している(すべてのパネリストのプレゼンテーションはKGB文書に基づいており、ジュクはさらにアメリカ議会図書館とFBIのアーカイブも活用した)。

  • 学界を標的にしたロシアの諜報、防諜、影響工作に関する知識を共有すること、そして標的にされた個人的な経験を共有することが、抑止力として重要である。

  • 全体主義的情報機関が学問の誠実さや自由を悪用するのを防ぐために、言論の自由とのバランスをとりながら、どのような措置がとれるかを考える必要がある。

  • ソ連およびロシアの諜報機関の任務には、海外の「反ロシア」組織に潜入し、それらを混乱させることが含まれている。やがてRUTAのような学術会議も、ロシア情報機関による浸透(対外防諜、対プロパガンダなど)の標的となるだろう。

新しい伝統

RUTA大会の準備は1年前に始まり、中心的メンバーは作業グループに分かれ、無数の会議を重ねてイベントの成功を目指してきた。今次大会で役員が選出され、翌年も同時期にウクライナで大会を開催することが決定された。新しい伝統が確立されたといえよう。2022年2月以降、ウクライナへのフライトは運航を停止しているため、多くの参加者は会場に到着するまでに丸2〜3日かかった(かつてはタリンからキーウまでわずか2時間のフライトだった)。世界で最も遠い国のように感じられる一方、逆説的だが、RUTAの参加者にとっては感情的にも知識的にもウクライナは近い国になった。

組織委員会のメンバーとボランティアの皆様、特にウクライナ国内で空襲警報の脅威や停電の困難に晒されながらも、献身的に準備にあたった方々に対し、心からの感謝と敬意を表したい。また、毎日ロシアと戦い、ウクライナ人とその訪問者を守ってくださるウクライナ軍およびその他の方々にも感謝の意を表する。彼らの多大な犠牲がなければ、このような会議は実現しなかっただろう。

ウクライナのホスピタリティの下、世界中から参加者があり、RUTA大会は前例のない大成功とみなすことができよう。我々を含む多くの参加者は、この機会を利用して戦時中のウクライナをさらに探索し、他のウクライナの都市で研究者と会い、長い間先送りされていたフィールドワークを行った。

戦時中という状況にもかかわらず、RUTA大会は少なくとも2つの点でウクライナの研究者とそのサポーターに安全な場所を提供した。第一は、カルパチア山脈に囲まれた遠隔地での開催は、毎日のようにあるロシアのミサイル攻撃やドローン攻撃の脅威から相対的な安全を確保した。第二に、我々の知る限り、ロシアの相対主義や偽情報に議論を逸らそうとする者が誰一人いない、希少な大規模学術会議の一つとなった。むしろ、ロシアの侵略とジェノサイド戦争に対する明確な道徳的立場に基づいて、地域における芸術と文学、性とフェミニズム、政治と安全保障、歴史と記憶に至るまで、深く掘り下げて議論が行われた。ウクライナの兵士や生存者たちもイベントに参加し、自らの主体性を勇敢に主張した。

大会終了後のバス移動中、参加者は1970年にヴォロディミル・イヴァシュクが作曲したウクライナの人気曲「チェルヴォナ・ルータ(Chervona Ruta)」を共に歌い始めた。これは今やRUTA会議の非公式なテーマソングといってよい。この瞬間は、RUTAを特徴づける多様性の中の統一感をよく表していた。大会直後も、参加者の多くが『ガーディアン』に掲載されたウクライナのNATO加盟に関する公開書簡に署名する形でコラボレーションは続いている。

 保坂三四郎 国際防衛安全保障センター(タリン)研究員、タルトゥ大学のヨハン・スキッテ政治学研究所博士課程学生。研究関心は、ソ連・ロシアのプロパガンダと非公然工作、西側学界とインフルエンス・エージェント、ソビエト・ロシア情報機関、ウクライナ人の歴史的記憶など。
 
アンセルム・シュミット(Anselm Schmidt) タルトゥ大学ヨハン・スキッテ政治学研究所ジュニア研究員、タルトゥ大学グラントコンサルタント。研究テーマは、2014年以降のウクライナに対するロシアの侵略戦争の文脈でのウクライナの主体性、プロパガンダ、およびメディア。ウクライナの研究者を大規模な欧州の資金調達スキームにより良く統合するための取り組みも行う。

(本エッセイのオリジナルは英語: https://substack.com/home/post/p-149762184?r=3ho0hl&utm_campaign=post&utm_medium=web )


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