脊髄損傷したあの日から、5年。
こんにちは。
祐和會所属の中尾有沙です。
2021年も1ヶ月が過ぎようとしています…
本年もよろしくお願いいたします。
さて、本日は1月30日。
私が脊髄損傷の怪我をして脚が自由に動かせなくなってからちょうど5年。
新しい人生がスタートした大切な日です。
私は陸上競技走幅跳三段跳の選手として祐和會に所属して活動していました。
2015年6月に念願の日本選手権優勝を達成し、次シーズンに向けて練習していた2016年1月30日、ウエイトトレーニング中の怪我で脊髄損傷の怪我をし、車いすでの生活になりました。
この5年を振り返って真っ先に思い浮かぶのは、本当にたくさんの人からの励ましやサポートに対する
「ありがとう」
の一言に尽きます。
支えの中心となったのは、やはり両親と夫です。
特に両親が私の怪我に対するショックは大きかったはずですが、二人とも驚くほど常に前向きに、車いすでの生活となった私の新しい成長を楽しそうに支え、応援してくれました。
たくさんのチャレンジに向けて、強く背中を押してくれました二人の存在に、何度も救われました。
夫とは怪我をした当時はまだ結婚していませんでしたが、私と一緒に怪我や障害のことを受け止め、悩み、挑戦をしてくれました。
この日が悲しいだけの日にならないように…と怪我から一年目のこの日にプロポーズをしてくれた、そんな記念日でもあります。
そして、救急車で運ばれた病院へ駆けつけてくださった祐和會・福原英喜会長、三勢・浩倫社長、相談役、大学時代からの恩師・中川先生、当時の跳躍コーチには家族と共に、症状の宣告を聞いていただきました。
「辛い話ですが…脊髄損傷で今後立ったり歩いたりできません。車いすでの生活になるでしょう」
そのように言われた時、だれもマイナスなことは言わず、「大丈夫」「これからも支えるから」と言ってくださいました。
私の退院や車いす生活に慣れるのを待って、会社に復帰させていただき、車いす陸上への挑戦も応援していただいています。
アスリートの仕事でもある練習中に、不注意で怪我をしてしまったにも関わらず、戻る場所をくださったことは大きな安心感であり、リハビリに集中することができました。
他にも力をくれた人たちはたくさんいます。
一人一人エピソードを振り返りたいくらい。
とにかく、この5年【私はまわりの“人”に恵まれている!】と改めて感じることばかりでした。
車いすでの生活となったことにより、以前では考えられないほど広い世界を見ることができています。新しい出会い、新しい経験、どれも新鮮で楽しく過ごしています。
たくさんの人が、支え、引っ張り、道を用意してくださったおかげで突き進めた最初の5年でした。
5年は一つの区切り。
これからは、私も誰かの支えとなれるよう、自ら行動し、より広い世界に挑戦し続けたいです。
怪我して間もない頃の純粋で素直な感謝の気持ちだけはずっと忘れずに、進んでいきたいと思います。
長くまとまらない文章となりましたが、読んでくださりありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!